[コメント] 大怪獣ガメラ(1965/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
本作で一番気になる人物はというと、やはり俊夫少年であろう。幼い時に母親を亡くし、その寂しさを「亀を飼うこと」で紛らわしていたが、それ故誰も理解者がおらずどこでも孤独に陥っている。家族である父親や姉ですら、その行為を迷惑がっているのだからなおさらだ。「そのままで大人になったらどうするの」と姉は言葉を投げかけるが、今の俊夫には「亀」しかないし、将来を考えろという言葉が亀を捨てる絶対の理由にはならない。そして、父親と姉に諭されていやいやチビを捨てに行かねばならなくなった少年の、あの不満げでもあり寂しそうな顔には、そんな疑問と、自らの行為が何一つ理解されないことへの、どうすることも出来ない絶望感を感じる。
そこへガメラが現われた。亀と聴いて思わず灯台に登ってしまい、自らと共にぶち壊されようとしたその時、何とガメラは少年を助けた! あれだけ恐怖を覚えたガメラが、なぜ……。俊夫が助かったこと父と姉が「よかったよかった」と喜んでいる脇で、二人に抱きしめられた少年は一人、物凄く合点の行かない顔をしている。その疑問を少年はどう解決したか? 捨てに行った「チビ」がいなくなっていることで、彼はこう結論付けた。「チビがガメラになったんだ!」これによって、俊夫少年の中では「チビ=ガメラ」という図式が完全に出来上がってしまった。だがこの図式は、ガメラをチビの延長線上に置くという単純なものではない。少年はガメラについてこう力説している。
「ガメラはひとりぼっちで寂しいんだ……本当は悪いやつじゃないんだ! 亀はおとなしい動物なんだよ! ガメラは寂しいからお友達を探してるんだ。お腹が空くから餌を探してるんだ……。チビみたいな小さな亀も、ガメラみたいな大きな亀も一緒なんだよ、同じなんだよ! 僕にはちゃんと分かるんだ……」
そう、少年はガメラを“理解されていないもの同士”と見たことで、共通するものを感じたのである。ガメラは普通の生物と同じく生きる為に活動しているが、その巨大な身体・能力ゆえに人類にとって「敵」となってしまう。俊夫はそこに「孤独」を見たのだ。その孤独と自身の孤独を重ね合わせた結果、ガメラの存在がとてつもなく近いものになったのだ。 だが彼が、ガメラが持つ孤独をいかに理解しようとも、ガメラを止めることはどうやっても出来ない。「撃っちゃダメだ!」とガメラを庇い、あるいはコンビナートにやってきたり、大島のZプランに密航することでしか、ガメラに対する自らの想いを表現することが出来ない。東京で暴れ回るガメラに向けて「ガメラ、駄目だよ……悪いことしちゃいけないよ……」とつぶやく少年の心境は、察するに余りある。そんなことをしたらまた独りぼっちになってしまう、という少年の気持ちはガメラには届かない……。
しかしその俊夫少年も、最後はガメラを明るく見送ることが出来るようになった。島に来てから、少年は何かを得たに違いない。そのやり取りは劇中では描かれていないで、想像に頼るしかないが……
「先生……ガメラは、殺されちゃうんですか?」「そうだな……これは秘密なんだが、俊夫君には特別に教えてあげよう。おじさん達が何をしているかをね」(と、Zプランを一通り見学させる)「……これで、何をするんですか?」「ガメラを宇宙へ飛ばすんだ」「宇宙へ?!」「そうだ。残念だけど、ガメラが私達人類と一緒に暮らすのはとても難しいんだ。だから、ガメラを地球の隣の星、火星へと送るんだよ」「そうしたら……またガメラが一人ぼっちになっちゃうよ」「そんなことはない。ガメラはとても強い怪獣だ。それに、君が立派な大人になって宇宙へ行けるようになったら、火星のガメラと会えるかもしれないよ」
……そんな会話があったのだろう。亀としか接点を持てず、孤独という壁を作ってしまっていた少年は、ここで始めてその壁を「亀と共に」乗り越えることが出来たのだ。本当ならガメラが去ってしまうという寂しさを、再び会えるという前向きな考えに出来たことで、少年は一つ成長したのである。ラストのあの笑顔は、その象徴ともいえるものではないのか。
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