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[コメント] 痴人の愛(1967/日)

安田道代の目にあらがうために、小沢昭一が大爆発!マエストロ増村が描くは、「幼稚な日本人の恋愛」もしくは「共依存と愛の境界の曖昧さ」
ボイス母

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







頑張りましたっ!小沢昭一!!全力で踊って、全力で殴って、全力でボクちゃんやって、手足バタつかせて、この映画に於いてかくも雄々しく戦い抜きましたっ!!(実はワシは厨房の時から小沢昭一ファンである)

この魔性の女「ナオミ」という、全男性がその内実を伺い知る事は多分一生出来ない、「謎の生命物体」と全身で格闘してゆく様が実にお見事!!

ソレが愛なのか、単なる「共依存」なのか、お互いにも皆目わからないママ、話は転がり、周囲の人間も巻き込んでズタズタのボロボロ。 ナオミ自身はトモカク、主人公にとってナオミは、ナオミが居なければ夜も日も明けぬ、母のような食べ物のようなモノ。 その栄養を吸い取っていなければ、生きては行けない。 ソレは主人公がナオミに「ちゅ〜」する時、常に、赤ん坊が母親の乳房に吸い付くような音(ぢゅっぢゅくぢゅくぢゅく、ぢゅぢゅぢゅ〜〜)を立てていることに表されている。

主人公はナオミを養育し、教育しているつもりだが、そんな「母ちゃんのオッパイから離れられないような男」が「教育」だなんて、ちゃんちゃらおかしい。 だからこそ、主人公はナオミにしっぺ返しを食らう。

マエストロ増村は、「本当の恋愛は自立した意志を持つ個人間にしか生まれはしない」と常にその作品で語っている(気がする、ワシには) つまり、この映画は「個人」として強烈な意志を持ち、自立した人間としてむき身のママで恋愛に身を捧げることが、かなり困難である「日本という社会」において、「なんとなく、恋愛で破滅するって気になれる状況」を描き出したモノであるという気がする。 モチロン、本当の身も心も燃やし尽くす恋愛とは全くの別物であることを知っての上での確信犯である。

その愚かさ、その滑稽さを、冷笑的に批評するというのでもない姿勢(しかも、シンパシーを持って)で映画を作って見せるあたり、「大人やなあ」という気がする。 この典型的日本人男性(主人公)に対する「外側からの批評的な視点(観察眼的)」だけでは、冷たい突き放した作品になっただろう。

この、恋愛と共依存の境界の曖昧さ。それをユーモラスに暖かく描いて見せた。 世の中に生きるヘンタイにとってもまさに、福音であり、救いとなる映画であろう。

それにしても、田村正和 ヘナチョコで気持ちが悪いゾ。役柄には合っているけど。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)寒山拾得[*] トシ[*]

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