[コメント] スケアクロウ(1973/米)
この映画は途中から始まり、途中で終わっている。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ふと立ち止まってみると、人生はいつも途上にある。生命を授かる瞬間を自覚することはできなかったし、臨終の臨界点を意識することもたぶん出来ないだろう。始まりも終わりも、自分のものであって、自分のものではないのだ。
我々は常に自らの人生を途中からしか語れないのである。
この映画も途中から始まる。
道の上に降り立った二人の案山子。一方はタフだが優しさに欠ける案山子。もう一方はタフではないが優しさに溢れた案山子。
一本ずつしかない足を、肩を組んで、進めて行く。
二人はとてもいい凸凹コンビだった。
でも、惜しむらくは、二人の歩幅は違っていた。いや、材質が違っていた。一方は強く、一方は柔に過ぎたのだ。
二人の歩調が狂い始める。
そして、優しさだけが取り柄の案山子に対し、神は残酷な運命を与える。
二人の案山子は引き裂かれる。
でも、残されたタフな案山子は旅を続けた。いや、旅を止めなかった。
止めなかった理由の半分は、運命への反逆心だったのだと思う。片方の靴を脱ぎ、文字通り一本足で立ち、その靴を打ちつける彼の目は、理不尽な神に対する怒りを宿しているように見えた。少なくとも、ふてぶてしい輝きを失ってはいなかった。
そう、案山子の旅は終わってなんかいない。人生は終わってなんかいない。
だから映画は途中で終わる。
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