[コメント] グリード(1925/米)
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ジーン・ハーショルトの舞踏病みたいな訳の判らない登場からして凄まじく、田舎の駅に集合しているザス・ピッツの家族がまた全員抜群に奇妙だ。なんで彼等は線路を行進し始めるのだろう。遊園地や結婚式での子供じみたバカ騒ぎは、これから始まる戯画の前振りなのか、単に田舎者を馬鹿にしているのか、ともかく奇妙、殆ど『フリークス』扱いだ。
そんななか最強に不気味なのはザス・ピッツであり、彼女のヌボッとした造形はファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻像」が思い出されて仕方がない(新藤映画によく出てくる巫女さんとか、『千と千尋』のカオナシにも似ている気がする)。オーバーに眼玉見開くような演技はサイレントに特有ではあるが、本作の彼女はこれがハマりまくっている。こんな面子に囲まれて主役張るギブソン・ゴーランドもまた凄いものだ。
ただ評価を保留したくなる処もあって、ザス・ピッツの守銭奴振りにはどうもユダヤ系への侮蔑が垣間見えるのが厭だ。最後の方の造形はユダヤの金貸しのお婆さんそのものだろう。そもそもこの夫婦の転落は医師免許持っていなかったのが直接の原因であって、吝嗇なばかりではない。
「悪魔のような父親の血が甦った」などと語ってしまうホンは、何でも血筋(遺伝)で片付けるゾラ流の(似非)科学的自然主義の影響大。サイレント映画ではこれがときどき顔を出すのであり、脆くも衛生学に繋がってしまう当時の風潮なのだろう。鼻を摘んで見るべきだが、だからこそこれほど極端な人物造形がなされたのもまた確かなのだろう。
構図でまだ甘いな、と思わされるのは一箇所、冒頭の金採掘機器を真正面から捉えるショットのみで、その他はもう30年代と比べても遜色ない。西部劇の最果てをすでに撮ってしまった死の谷の放浪はド迫力。あの馬本当に撃ち殺しているんだろう。30年代のフランス映画の外人部隊ものは全て本作の変奏に見えてくるし、猛暑日続きの日に見るのではなかったと後悔させられる。梶芽衣子なら手錠かけられた相手の腕喰い千切ってまだ逃げる処だが、ああもう止めよう、諦めようよと負の共感に襲われる。もう疲れたよと。
まだふたりが幼気だった頃、アコーディオン奏でるデートの件がちょっと好きだ。やたら字幕が多いのは元の12時間の尺を切りまくったためらしく、歯噛みするほどもったいない。仮に12時間ものでそのまま大成功していたら、現在でも芸術映画は半日観るのが常識になっていたかも知れない。壮大な話だ。
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