[コメント] コンドル(1939/米)
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プロフェッショナルな男たちが活躍する冒険活劇と、陽気なアメリカ娘に振り回されるスクリューボール・コメディ、というふたつがハワード・ホークス作品の「原型」だろう。しかし、その両者をミックスさせたようなこの映画では、監督はそれまでになかった新たなヒロイン像を求めていたらしい。
撮影中、ジーン・アーサーはハワード・ホークスの求めるキャラクターが理解出来ず、かつてキャロル・ロンバードやキャサリン・ヘップバーンがホークス作品で演じた陽気なコメディエンヌのタッチで押し通して監督を失望させたという。
ハワード・ホークスは、ここでは失敗した「新たなヒロイン像」に再度挑戦し、それはクライマックスで本作品のヒロインと同じ台詞 (All you have to do is ask...) を充てられた『脱出』でのローレン・バコールに結実する。それを観たジーン・アーサーはようやく監督の意図を理解して謝罪し、「もし次回やるなら、もっと上手く演じてみせる」とまで言ったと伝えられている。
しかし、いま、公開直後に勃発した第二次大戦のおかげで?不当に低い世評に甘んじているようなこの傑作を観ると、このジーン・アーサーの「陰のない」キャラクターは、ケイリー・グラントの持ち前の洒脱なセンスと呼応してソーダ水のようなさわやかなアクセントを作っていて、メインラインである男たちの内面のドラマの陰翳とのコントラストを際立たせているようにも見える。ここでローレン・バコールが出てきたのでは、宿命のラヴロマンスなのか男たちの群像劇なのか、かえってドラマとしてのピントが絞れなくなったんじゃないかとも思う。
活気に満ちた俳優たちの台詞と所作がまるで音楽のようなハーモニーを生むこの映画には、BGMというものがほとんどない。それだけに酒場での音楽シーンがいっそう印象に残る。事故死した部下を「未熟だから死んだんだ」と言い捨てながら、酒場で「ピーナッツ売り」を歌うケイリー・グラントは忘れられない。
実際に、飛行機事故の責任を問われた辛い経験があるという監督の自我を最も色濃く反映しているキャラクターがリチャード・バーセルメスなのかもしれないが、であるなら、彼を見捨てずにチャンスを与えるケイリー・グラントは、監督の理想のヒーロー像を神々しいまでの見事さで体現しているように思われ、後のホークス作品で一世を風靡するハンフリー・ボガートやジョン・ウェインのヒーロー像が、実は単純化された一面的なものでしかないようにすら見えてくる。
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