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[コメント] ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000/英=独=米=オランダ=デンマーク)

総てはミュージカルのために。そしてエゴのために
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







手持ちカメラをブン回す映像は嫌いだ。ミュージカルも好きじゃない。しかし、それが必然であればしかたがない。

手持ちカメラは不快だ。話も不快だ。しかし、それが現実なのだ。ところがミュージカルシーンとなると一変する。カメラは固定され、計算された構図、照明、カット割り、音、歌、踊り、完璧な映画らしい映画に変身する。(中盤の列車のシーンなんか鳥肌が立った)

見ている私は、知らぬ間に、不快な現実シーンから目をそむけかのごとく、空想としてのミュージカルシーンを心待ちするようになっていた。そう、テルマと同じように。やられた。これは完全なる計算の上に仕組まれたテクニックだったのだ。そして私は、この手のテクニックは嫌いではないのだ。

しかしこの映画、決してお涙頂戴の作りではない。それならば、終盤子供が出てきてグチャグチャあっていいはずだ。私はむしろ人間の「エゴ」を描いた作品だと思う。彼女の行動は総て、子供を産んだ事から総て、「エゴ」なのだ。それでも「赤ちゃんを抱きたかった」と泣く彼女の気持ちは、男の私には、頭では理解出来ても皮膚感覚で理解しきれない。だからこの映画は女性向けなのかもしれない。(余計なお世話だが、この映画で泣くならこの台詞。死んでしまってかわいそうと泣くのは決して感動ではない。ま、余計なお世話だけど。)そして、この「エゴ」に対する「けじめ」が彼女の総ての行動の「動機」なのだ。

もし、終盤子供が出てきていたら、彼女の行動が報われた事になり、母子(母性ではない)の感動物に主題が変わり、感涙にむせび泣く映画となり、私の評価は下がっていたろう。歌、踊り、子供、彼女が注いだ「愛」は、「報われる」対象ではなく「捧げた」ものなのだ。『サクリファイス』だ。「エゴ」に対する女の「けじめ」なのだ。そう考えると男の「けじめ」である『HANA-BI』は甘いなあ。

(評価:★4)

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