[コメント] ペパーミント・キャンディー(1999/日=韓国)
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主人公が破滅していく「原因」が徐々に明らかになると思わせて、明らかにならない。光州事件で誤って女子高生を射殺してしまうことがそうなのだろうけど、それだけが原因というわけではないような印象が残る。むしろ「それが原因なのだ」がテーマなのだとしたら、普通に時系列でこの物語を語ったほうが、誤射事件を「きっかけに」少しづつ主人公の性格が荒んでいくんだなぁ、と観客は率直に思いやすいように思うのだ。つまりその後の主人公が冷血になっていくいくつかの局面について、観客が「ああ、それもこれも何もかも、あの軍隊時代のあれがいけなかったのね」というふうに。監督はそういうふうにとらえて欲しくなくて、このような物語形式をとったのかも知れない。
物語をブツ切りにして、現代に近い時代から徐々にエピソードを見せられる。その一つ一つを観た感想は、主人公が物事に対し悪い方へ悪い方へと自ら差し向けるような生き様だった。その一つ一つに主人公がもっと明るく前向きに対応していけば好転していく状況も多かったように思う。たとえば定食屋の娘との夫婦生活とか。主人公はあの時、おそらくバブルに浮かれて、女房をほったらかし好き勝手をやっていたのだろう。その傲慢な生き方は、彼の起こした誤射事件が元になっているのか? それはNOである。それはそれだしこれはこれなのだ。それの何もかもがあれであったということは人間にはないのだと思う。しかし2時間という尺の中で、時系列で描いてしまうと、観客はそのようにとらえてしまう。主人公が誤射事件というトラウマを人生の中で何度も克服しそうになり、でも日々のちょっとしたことでうまくいかず…という状況を正確に描写しようとしたら2時間という枠の中で描いていくことは不可能だろう。日々のちょっとした出来事のような退屈な出来事は映画的ではないし、アフリカの難病のために人生を尽くした人間が母親に暴力をふるったりみたいな複雑な性格はそれがテーマでない限り描くことはできない。諸々そういうことを避けるためのこの物語形式なのだと思った。
全斗煥の軍事政権誕生から始まって、光州事件、オリンピック、高度経済成長、バブル崩壊そしてIMFによる救済の受容。時代にその人生を翻弄された多くの韓国の若者の光と影を俯瞰的にとらえるのが、この監督の問題意識のありようで、監督はこの作品を本来はそういった若者たちの群像の物語として届けたかったように思う。
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