[コメント] 第三の男(1949/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
●流麗で完璧な構成、映像美(ウィーンならではの情感)
響きあうチターの弦、古都ウィーン、瀟洒な町並みと瓦礫、雨に濡れた石畳、男を指差す子供、壁面に浮かび上がる風船売りの影、ヘッドライトに浮かびあがる男の顔、仰角で捉えられた大観覧車、哀愁溢れる駅舎、光と影の交差する地下水道、響きわたる追跡する4カ国の言語、水をたたく足音、男の叫び、叫び、そして銃声、季節は秋、一本道、大ぶりのプラタナスの葉が舞い振る、女、一瞥もしない女、紫煙をくゆらす男(ラストシーンは黄色い木の葉の色彩を感じた。)
●台詞(せりふ)にも痺れまくる
「中世イタリアのボルジア家の30年の圧制はダ・ビンチやルネッサンスを生み出した。スイスはどうだ。500年の平和と民主主義の中で何が生まれたか。鳩時計さ。」は余りにも有名。
大観覧車/「下を見ろ。あの点のひとつが動かなくなっても関係がない。ひとつ動かなくなるごとに2万ドルだ。しかも税金もかからん。こたえられんぞ。」「人類のことなんて誰が考える。政府にしてからそうだ。俺だって、奴らだって。政府は5ヵ年計画、俺にだって計画はある。」
男「報酬は何もない。」女「正直で真面目男のホリー・マーチンス。ホリー、なんて馬鹿な名前ね。」「彼は私の体の一部なの、裏切れない。」
講演会場/「意識の流れについてどうお考えですか。」「・・・」違う男「新作はお書きですか。マーチンス。」「殺人事件についてだ。事実だけで書く。」
少佐の部屋/「昔、戦争中のある将軍は壁に敵将の写真を掛けた。敵を知るためだ。わたしもそれで行こう。」
●結論――映像美と台詞の凄みを極めることにより、人類の業(ごう)みたいなものを、図らずとも云い尽している。
ハリー・ライムが、今際の際(いまわのきわ)で、這いずり上がって、鉄柵ごしに中空に指を翳すところ、そして、死を促すところに、何とも云えない生き物共通の哀れを感じた。地を這う哀れ。避けれぬ死の哀れ。人類は神ではない。単なる動物の一種。
同じ人類は、時として、状況によって、上記の大観覧車上での神のようなマクロな視座での冷徹な発言をする。思い上がる。
あるいは、時として、上記の敵将の写真のような、人を等価な人とみて、示唆や叡智にとんだ見方をする。
状況、状況に応じて、人間の視点は変わる。様々にこころは移ろう。異性がからむことにより、甘い味はするが、状況は一層複雑となる。シビアとなる。そして、人類は破壊と創造の歴史を繰り返す。繰り返す。墓場から墓場まで。(この映画も墓場で始まり墓場で終わる。凄い構成!)
長方形の平面のスクリーンに、究極の心理的奥行きを感じさせるもの、それがラスト・シーンの一本道。この映画の一本道に痺れた。これぞ映画の醍醐味。(そして、チャップリンの『モダン・タイムス』と見事に好一対!)
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