[コメント] 初恋のきた道(2000/中国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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映画の最初、何だこの頑固な婆さんって思うものね。謎かけなのだ。爺さん婆さんに若い時があったなんてのは誰も考えようとしないもの。この回想の手法、大河小説ではむしろありふれた表現だが、具体的に顔を見比べるという表出ができる点、映画には決定的なアドバンテージがある。本作は大河映画からこの対比だけを抜き出し、的を絞って見事に成功している。
だからベストショットはチャン・ツィイーと同じアングルで捉えられた老婆のチャオ・ユエリンのバスト・ショットであり、ここに本作の全てが込められている。彼女にとって現代はモノクロでしかない、というのが切ない。カラーからモノクロに切り替わったのはご亭主が亡くなった瞬間であったのだろう。
本作のナレーターは息子のスン・ホンレイ。だから息子は母の馴れ初めを全て知っていたことになる。しかしもちろん、彼は伝聞で知るのみでその過去の現場にいた訳ではなく、映画の観客より劣位にいる。この二重性は映画(芸術)でしか越えられない壁であり、人間の条件、人生そのものという感触が残る。ご亭主が亡くなって学校の前に座り込んで泣いているチャオ・ユエリンの万感の想いを、スン・ホンレイは観客のようにリアルには感じられないのだ。だからこそ、教壇に立つ息子の善意に頭が下がる。
悪役のいない本作が総力をあげて非難するのは先生のチョン・ハオを連れ去る文革であり、この点『妻への家路』に至るまでチャン・イーモウは全然ブレない。彼独自の一点突破型主人公の手法が見事に生かされたという意味でも、本作は『あの子を探して』と双璧だろう。
チャン・ツィイーは腰回りの太さ、逞しさがとても印象的で、田舎娘のリアルをよく伝えている。背後から捉えられた小走りの姿の麗しさはモンロー・ウォークと対極にあるだろう。忘れられたと思われた記憶を繋ぐ大勢の人がいた、という葬送の件がいい。伝統習俗への温かい視線に江沢民の改革開放路線への違和感を見るのは穿ち過ぎだろうか。教師という職業は羨ましいと思う。
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