[コメント] バトル・ロワイアル(2000/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「十代の子供たちに命の大切さを云々…なんてみんな嘘じゃ! ワイはバイオレンスが撮りたいんじゃ!! 」とかホントは言ってたりして、深作監督(笑)。
[追記(ちょっと真面目に…)]
”なぜ、中学生が殺し合いをしなければならないのか? その理由を「近代」という枠組みから考える”
「近代」国家にとって「学校」という仕組みは非常に重要だが、それと同じぐらい重要なものがある。それは「軍隊」だ。 「学校」と「軍隊」、より正確に言うならば、それは「義務教育」と「徴兵制」という制度のことだ。これら2つの制度は「近代」国家において「義務」とされている。つまり、その国に住む人がすべからくこなすべき務め、と決めらていることであり、それほど重要である、というわけだ。
ではなぜ、「義務教育」と「徴兵制」が「近代」国家にとって重要で「義務」とされているのか? それはこのふたつの制度が「国民」という存在を生産する仕組みだからだ。
「近代」国家が成立するためには、その最小構成単位として「国民」という存在を必要とする(※1)。共通の言語を読み、書き、かつ喋り(国語)、ある一定以上の知識・技術・文化など社会的コードを共有する規格化された人間、それが「国民」だ。そして、その規格化された人間=「国民」を中央集権機構のもとに組み込み、構成したものを「近代」国家と言う。「近代」国家を構成する部品としての「国民」。その部品を生み出し「近代」国家が自分自身を再生産する仕組みが「義務教育」や「徴兵制」なのだ。 「義務教育」と「徴兵制」。一見、素朴な感覚からすると全く正反対の価値を体現した制度に思えるかもしれない。とくに「近代」国家・日本は戦後、「徴兵制」(軍隊)を廃止したために(※2)。だが「国民」生産装置として見れば、この2つの制度はほぼ等価の意味を持っている(※3)。
さて、やっと本題に入る。この『バトル・ロワイアル』という映画で”なぜ、中学生が殺し合いをしなければならないのか?”
上で書いたように、そもそも「学校」と「軍隊」は等価物だ。そして「軍隊」は戦場と敵を要求する。たとえばアメリカならば国外に戦場と敵を求めることができる(映画でも、そして本物の戦争でも!)。だが、不都合(?)なことに日本ではそれができない。国外で出来ないものは、国内で処理するしかない。つまり「軍隊」にとっての現場=戦場を、国内の「学校」の現場=教室に、そして敵を未だ「国民」ならざるもの(バトル・ロワイアルに勝ち抜いた生存者=義務を果たした「国民」、以外の生徒たち!)に置き換える。双子である2つの制度、「義務教育」と「徴兵制」を1本にまとめたのが、劇中に登場する「BR法」なのだ。
劇中、「義務教育」と「徴兵制」を二重映しにした法律で、大人たちが中学生に殺し合いまでさせてまで守ろうとしたものはすなわち、「近代」という価値観だ。しかしキタノが「この国は、すっかりおかしくなってしまいました」と言うように「近代」という価値観はすでに破綻した(だからこそのポストモダン=近代後)。「近代」が破綻したのは随分と前なのだが、いまだにそれをわからず、死体にしがみついている人は多い。つまるところこの映画は、そんな人たちの断末魔を描いた映画なのだ(※4)。
映画のラストで生き残ったふたりが、国家に背を向け逃亡の旅に出る。しかし彼と彼女は一体どこへ向かうのか? 「近代」以外の新たな場所である約束の地、それが何処にあるのか誰もまだ知らない。それでもふたりは、前に進まねばならないのだ。もう帰る場所はないのだから。
※1)普段、私たちは「国民」という言葉・存在を自明のこととして疑問も持たないでいる。だが明治以前、日本には「国民」などいなかった。そもそも「日本国」などという概念が無かったのだから当然だ。江戸時代は人口の8割以上が農民で、それらの人々は地縁・血縁で結ばれた関係性の中に暮らしていた。地縁・血縁の関係性、つまり地域社会や家族・親戚などのネットワークの結節点としての存在だ。そのネットワークを破壊して点である人間を取り出し、「個性」という価値観を与えられたのが近代的「個人」であり「国民」という存在だ。
※2)もちろん「徴兵制」をやめたのは日本ばかりでは無いし、自衛隊は紛れもない「軍隊」だ。
※3)「義務教育」と「徴兵制」、そのどちらも「ある人が一定時間、国家によって拘束される」制度でもある。「徴兵制」は24時間フルタイムで「義務教育」はパートタイムという違いはあるが…。その点で言えば「学校」は「通いの軍隊」(by筒井康隆)ともいえる(笑)。
※4)なぜこの映画がR-15なのか。それは断末魔をあげている自分たちの姿を見られたくなっかたから……。
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