[コメント] ドレイ工場(1968/日)
この時期に至っても組合参加で即馘なのかと驚かされる鉄鋼所の組合創設話。ドギツいタイトルには明快な意図があり、いい気づきがあるのだが、なんか怖そうで損していると思う。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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総評参加の全金への個人参加対御用組合。私は公務員だったが、当時は組合活動が盛んで、年末調整(新賃金が一定遡及されるのだ)の方が賞与より多かった年が七年も続いたものだと聞いたことがある。一方で炭鉱は潰れ続け映画会社も潰れた。そんな時代。
組合の「公然化」が中盤の山場で、後半は馘になった人たちの運動が描かれ、裁判所に書類提出とかしている。極秘で持物検査、「あの恐るべき民生が潜入している」なんて科白もある。組合参加した奴への無視、暴力団と警察の介入。いやなものだ。
序盤の工場のだらだら描写は興味深く、ポケット瓶隠して呑んでいる工員、煤塵舞い散る場内、臭いトイレの落書き。脚本は現場の素人も入っているようで取材が効いていて、各描写を面白くしている。
10万労働者寄付で製作と冒頭にある。タイトルはドギツ過ぎるようにも思ったが、北林の亭主の陶隆司の「十五年前に闘争を止めて、待っていたのはドレイ工場だった」という後悔と参加で得心がいった。制作者はこれを最重要としてタイトルに残したのだ。植田俊のうりざね顔も懐かしい。志村喬の挨拶「あ、そう」は明らかに昭和天皇。都電に西荒川とあった。
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