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[コメント] サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS(2001/日)

鈴木京香演じる洋子の、プロ意識も冷静さも欠いた無計画で無神経な言動に苛々。本来、子供のように無邪気な健一(安藤政信)に対する冷めた観察者として最初は入ることでドラマを引き締められたはずの彼女の有り様は、映画自体の甘さと緩さの象徴。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







クールで知的な女性として現れた洋子が、健一の前で何度も、口にされない思念波に答えてしまったり、そのこと自体に気づいたり気にしたりしている様子さえ見せなかったり、一号が彼女の裸体を想像しそうになっているのが思念波に乗ってイメージとして飛んでいるはずなのに何の反応も見せなかったり、劇中何度も年のことを気にしてみせながら、「サトラレだって人間です!」と上司に食ってかかる台詞があまりに青臭いことなど、キャラクターとしてグタグダな状態。概ね彼女の視点から事態を見ていくことになる観客としては、鈴木京香自身のチャーミングさをもってしても、この洋子の存在はどうにも受け入れ難い。

婆ちゃんの手術シーンは結局、癌が転移していて手遅れだったという結末を迎えるが、僕はここで、健一はこの癌の転移に対応できる新薬の開発のために、自分の持って生まれた才能を活かすのだろうと、まぁ何だかご都合主義だがキレイにまとめてきたなと思ったのだが、さにあらず。健一は婆ちゃんの傍に居続け、ラストでは、彼の背で婆ちゃんが沈黙するところで終わる。また、健一がサトラレであるがゆえに、夥しい書類に同意の署名をすることを余儀なくされても、彼の手術を受けたいという患者も大勢押しかけている様子。この事態は、要は、何だろう、命が助かる助からないということ以上に、信頼できる医者に自分の命を預けるということ、このことこそが大事だという話なんだろうか。まぁ、健一が婆ちゃんの手術に際して、精緻さと誠実さをもってあたったことは、彼の思念波が飛びまくり、それを聞いた皆が感動した様子でいたシーンで示されてはいるのだが(このシーンのしつこさに、本広克行の幼稚さと手際の悪さ、簡潔な表現の方が却って情緒をかき立て得るということを理解していない様が顕著なのだけど)。

厳めしい男たちをやたらと走らせたり、様々な人々が一つの事態を見守る光景を繋いでいったりと、『踊る』シリーズ等で頻繁に見られる本広印の演出がこの作品ではどこか浮き気味に見える。『踊る』のお祭り的な雰囲気があってこそ、それなりに活きるテクニックなのかもしれない。

それにしても、嘘がつけないサトラレの周囲の人間は全員、サトラレに対して嘘をつき続けることになるというこの設定、嘘とは何か、真実は常に誠実さと同義なのか、といったテーマについて色々と考えさせる内容にいくらでもできるはずなのだが、ただの甘い感動話に終始していて下らない。

(評価:★2)

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