[コメント] 新学期 操行ゼロ(1933/仏)
女と子供を先に、そして「上」に。後にトリュフォーに引き継がれることとなる、ジャン・ヴィゴの映画理念、革命のスローガンは、この一時間足らずの中編の、至る所に視覚を伴って配備され、その圧倒的な説得力と熱気、美しさとで、大の子供嫌いであるこの私にさえ、一目惚れの改宗を強制する。
ベッドに直立し、机や本棚に登る、理科実験室では愚劣な教師を見下ろし、地下の調理室からは脱走する、女(或いはアンドロギヌス=半陰半陽者)を先頭に革命の狼煙を上げると、最期には屋根裏部屋から屋上に出て、大人たちの祝祭に唾吐き、ガラクタの山を投げつける、革命児たちはそんな風に描かれる。また寄宿舎の最高権力者たる校長は、子供らを下回る小人として辛辣に戯画化され、他の大人たちには(少なくとも表向きには)崇拝されるものの、子供達からは一顧だにされない。
以上のような、首尾一貫性を誇る価値基準が、若年のトーキー、モンタージュ、アニメーション、クイックモーション、スローモーションなどの、変幻自在、ヴァラエティに富んだ演出技法で語られたとき、フランス映画は既に、真の意味での革命を達成していたのである。
その成果は、当時の政府の逸早い弾圧と、作者の早過ぎる死に寄って、永きに渡っての獄中生活を余儀なくされたが、ようやく20余年を経ると、パリに解放され、新しき時代の大津波、革命の記念すべき第一波へと合流を果たして、フランスを、そして世界を、文字通り洗い流したのである。
ヴィゴとは即ち、反復され増幅する、波に付けられた渾名だろう。そして私は映画に求め続けたい。一定の規格に納まらぬ、操行ゼロの精神を。
(16mm 英語字幕版 @荻窪アールコリン)
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