[コメント] ザ・中学教師(1992/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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7時10分に一番に登校して発声練習する長塚京三。ひと昔前なら憎まれ者タイプの教師像を本作は主人公に立てた。「普段の自分は捨ててこい。学校は制服を着て生徒と先生の与えられた役割を演じる演劇の舞台のような処」「教師が権力の手先だなんて当たり前」「生徒が怖いから威圧的にやっている」。緊張型の造形がすごい。自分の企画だった校内駅伝が成功して生徒に淡々と拍手するラストがすごい。この人物は、明らかに無理をしている。ラストがスライドギターのブルースというのが効いている。映画はこの事態をブルースだと捉えている。決して悦んでいない。
教室が暑いからと生徒に自由にさせる藤田朋子は、戦後の自由な教師像のパロディなんだろう。しかし、いくら何でも自由過ぎるのは、長塚と違って戯画が嫌味に流れてしまった。放任主義で生徒の自立を促すのだと主張し、前に自宅に入れた生徒にシンナー遊びでラリッて襲われかけ、生徒はプールで自殺する。葬式で先生たちは人殺しと、群衆のなかに見えない相手から声がする。先生とは長塚か藤田か明快にはされない。藤田は長塚を批難するが、映画は明らかに藤田に反省を迫っている。彼女は授業中、自殺した生徒の友達に構って殴られ、美術の授業は学級崩壊して止めに入った谷啓は冷笑していた生徒殴って刺され、しかも学校を辞めさせられる。ここは相米『台風クラブ』の陰画のようだ。長塚は暴力教師ではない。
息子と風呂入る風吹ジュンの母親は面白い人物で、愛する息子に殴られて痣つくって長塚の提案「不良になれ。家出しなさい」に従って、ホテル住まいになり訪ねてきた長塚を誘ってフラれてしまう。これ以上の展開はないのかも知れないが、彼女はもう少し見たかった。長塚の娘が家出するのはこの反転であり、長塚は無傷ではすんでいない。コンビニの商品を学校で売り捌いていたコンビニの娘が駅伝で活躍する更生は簡単に過ぎただろう。撮影レベルでは、この駅伝のシーンは淡々とよく撮れている。
煙草吸って見つかって体育教師にはたかれて「子供の権利条約が採択されたんです」みたいな云い訳は『ダーティハリー』のサソリの直系。こういう「行き過ぎた自由」の批判をしようとすればいくらでもできただろうが、映画はそうはしなかった。アルゴプロジェクトの作品。広岡由里子、でんでんも教師役。助監督に富樫という相米繋がりがなぜかある。
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