[コメント] フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966/日)
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前作の『フランケンシュタイン対地底怪獣』では、その行動が何一つ理解されないフランケンシュタイン、というのが色濃く出ていて、人間ドラマも彼を見守ってきた科学者達の苦悩がメインだった。ではその続編となる本作はどうかというと……。
スチュアート博士(ラス・タンブリン)やアケミ(水野久美)らの科学者達は苦悩している。研究材料としてサンダを生かしておきたい、という想いからサンダの保護を訴え続けるが、バラゴンの時と違うのは“ガイラ”がいること。彼らが危険性の無さを主張し「善」の存在だと思い続けていたサンダから、もっとも危険な存在となるガイラが誕生している。サンダが存在し続ける以上、また第2第3のガイラが出現する可能性は消えないのだ。サンダさえ保護すれば後は……という理解は、前作同様ほとんど得られていない。それでもサンダを信じ続ける彼らだが、自衛隊の総攻撃も止められず、最終的に海底火山の噴火に2体が飲み込まれたのを知り、悲しさ、というよりは、もはやどうしようもない、という無念と脱力に満ちた結末となっている。
ドラマはこんなだが……本作を語るにはやはり「怪獣対自衛隊」というのを忘れてはなるまい。自衛隊がL作戦を遂行するにあたって、その作戦準備の推移を事細かに描き、どういう作戦なんだ?と否が応でも期待させてくれたところに、メーサーの乱れ撃ちを見せてくれる。光線そのもののエフェクトは至ってシンプルだが、木までスパスパと斬りながら林の中のガイラ目掛けて攻撃するさまは何と言っていいやら……。光線が「狙っている」ところに爆発なり何なりの効果を付けることは至極当然だろうが、後にも先にも本作のような「途中に何かある場合」は他作品でもそうそうお目にかかれないはずである。しかもこれだけ盛り上げておいて、まだ中盤のクライマックスだとは何と贅沢な! 自衛隊と怪獣との戦闘はまだまだ続くのだ。
話がずれるが、自衛隊がカッコイイ映画というとやはり『ガメラ2 レギオン襲来』が挙げられる。圧倒的な力を持つレギオンに対し、ガメラを援護したりその習性を利用して小型レギオンを殲滅させたりという「怪獣との共闘」がクライマックスでは描かれていた。しかし本作はそれとは違う。最終的にこの「怪獣対自衛隊」は市街戦に突入、しまいには港湾地区まで戦いがなだれ込み、そこへメーサー車が大急ぎで駆けつけ攻撃を開始する。豊田大隊長(田崎潤)の「あれだけの攻撃を受けてまだくたばらないのか!」という台詞で終わることなく、諦めずに怪獣を追いかけているという「粘り」を感じる。自衛隊が攻撃を開始しても、怪獣の火炎だか何かしらであっけなく蹴散らされそれっきり、という弱さはそこには無い。
特撮だが、合成もミニチュアもお見事。滑走路を闊歩するガイラも凄いが、地引網漁の浜辺に現れたガイラのシーンも印象に残る(どこで合成を切ったのか分からないくらい)。ミニチュアセットもいろいろと作ってあるが、話の後半でガイラが帰っていくシーンの海岸など、パッと見ただけでは実景かと思えるくらい。それらのシーンに被さる伊福部昭のBGMがまた盛り上げてくれる。
そういえばラス・タンブリンだが、話によると後々にDEVOというバンドのメンバーと親しくなったそうである。そのメンバーはタンブリン氏の主演映画の大ファンで、劇中挿入歌をカバーしてライブで歌っていたりしていたという。その話を聞いてタンブリン氏本人はてっきり『ウエスト・サイド物語』のことかと思っていたら、何と「War of the Gargantuas」(サンダ対ガイラ海外版題名)のことで、歌というのは本編でガイラに襲われる外人女性が歌っていたヤツだったらしい。カバーした、ということはそれだけ覚えるくらい観たということか?どこの国にも好き者はいるのだ、自分も含めて。
ちなみにDVDのコメンタリーは水野久美女史。曰く「普通の映画で普通の女性役を演じるよりも、怪獣の育ての親とか宇宙人とか、『マタンゴ』での役とかの方が印象に残っているし、忘れることが無い」とのこと。今だに海外からファンレターが届くとか。そんな水野さんの最新作はゴジラで女性総理大臣ですか……。ある意味、特撮女優を貫いてるのかも。
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