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[コメント] ディスタンス(2001/日)

痛すぎ。。方法的にどうのとかはよくわからないけど、とりあえずものすごく伝わってくるものがあるように思えました。「こちら」側からも「あちら」側からもこぼれおちてくひと。
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







僕は浅野忠信にとても痛さを感じました、つまりより感情移入ができたように思いました。この世界が嫌だから、ウソだから、別の世界に行く、作りだすというのも、それは内容がどんなであれ、とりあえずのところ「世界」或いは「社会」というのを求めている、所属できる、ということでは共通しているように思う。でも、浅野忠信の場合、その前提条件すらクリアしていないように思う。彼は「こちら」がわからこぼれおちて「あちら」がわへ行き、そこからもこぼれ落ちてまた「こちら」がわに戻ったかのように思えるけど、彼はたぶん「戻れて」ないと思う。彼が一人だけ携帯が鳴らなかったのが象徴的だけど、彼は「こちら」側も信じられないし、適応できないし、「あちら」側も信じられないし、適応できない、実に中途半端な存在。世界と世界の間をさまよっていったりきたり。そしてもう、いったりきたりすることさえも諦めたような感じすらするように思える。まだ、「こちら」側か「あちら」側のどちらであれ、そこに何かを期待し、適応できるのならマシなのかもしれない(もちろん、そこで犯罪を犯すのはマシじゃないけど。そういうレベルの話ではなく)その前提条件さえクリアできてない人、というのがたぶん確実にいて、この映画はそういう人のことを描いているように思えます。

是枝監督は、彼らは(犯罪を犯した人々)は我々の社会が生み出した以上、我々の社会にもその責任がある、みたいなことを言ってます。それはその犯罪を犯した人達もかつて我々と同じ社会に生きていた、仲間だった、というのを前提にしているように思います。だからこそ、なぜ彼らが犯罪を犯すまでに至ったかを考える義務みたいのも生じるんだと思います。でも、そもそも上に書いた浅野忠信のような、その社会、という前提からすらこぼれおちたひとにとって、そしてそれに期待することすら諦めた人にとって、この映画で提示される、加害者の遺族は被害者なのか加害者なのか、なぜ実行犯の人はあちら側へ行ってしまったのか、犯罪を犯してしまったのか、を考えること、という問いかけそのものが無効になってしまうように思えます。そうなるとするなら、むしろこの映画は、「何かを問いかける」、というものよりも、「問いかけるものを発見する」、というほうがより近いように思えます。そういう意味で、この映画は答えどころか、まだ問いかけすら出されていないけど、僕はそれを発見したことだけでも、この映画は何か意味があるように思えました。

(評価:★5)

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