[コメント] A.I.(2001/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
本来ハートウォーミングであるはずの「絶対的な母子の愛」がテーマになっているにもかかわらず、私はこの映画を観ていて、言いようのない「怖さ」を感じていた。
家庭からも、社会からも執拗に虐待されるデイビッド。プールの底に沈んでいてもそのまま放置される孤独、最愛の母から捨てられる絶望、かばってくれた同胞が目の前で溶かされていく恐怖。しあわせとは、ほど遠いエピソードが容赦なく積み重ねられていく。もし生身の少年がこのような仕打ちを受けたら自我が崩壊してしまいそうだ。涙をさそう切なさを通り越した、残酷と不快感にとまどいを覚えた。
最後にデイビッドがクローンのモニカとしあわせを体現するシーン。このしあわせを真実ととるか偽りととるかは観客に委ねられているのだが、私にはなにか悪夢をみるような不気味さが最後までぬけなかった。
デイビッドにとってのハッピーエンドは、オリジナルのモニカ(さらには人類)が死に絶えてしまってからはじめて実現したというバッドエンドとの2重構造になっていることも怖い。
この感覚が製作者の意図したものかどうか、私には知る由もない。かなり味付けはちがうが、『未来世紀ブラジル』に通じる恐怖があると思った。
ここからは、映画で語られるものから離れた自分勝手な解釈だが…
2000年後の世界というのは、観覧車の下敷きになってどこにも行き場のないデイビッドが、氷漬けになって機能が停止する寸前に、唯一愛情を得られる手段として電子頭脳のなかで創り出した「夢の世界」だった…という隠されたエンディングを想像してみてはいかがだろう。 つまり銀色に輝く知性体は、ロボットでも宇宙人でもなくて、夢の住人!?
現実のデイビッドは厚い氷の中で停止したままであり、観客はデイビッドの思考回路が停止に臨んで創り出したハッピーエンドに招待されたのかもしれない。
もしあれが夢だとすると作品の冒頭で、技術者が「夢を見るロボット」の話をして、聴衆の失笑をかうシーンが生きてくる。
愛を求めるようにプログラムされたデイビッドが、偽りのブルー・フェアリーの前で届かぬ願いを未来永劫祈り続けるという絶望的な究極の状況のなかで、臨死体験同様の夢を見る能力を獲得したとしたら。
この瞬間、本当にデイビッドは「特別(スペシャル)で唯一(ユニーク)」な進化を果たしたと言えよう。『2001年宇宙の旅』のHALのように、ロボットの一線を踏み越えた進化。
映画の前中盤でしつように繰り返される人間からデイビッドへの虐待は、この進化のための必然なのか。
どうにも後味の悪い映画だが、その理由を考えているうちに、もう一度観なければという思いに変わっていった。
P.S.
2001年2月に千葉で、3歳の男の子が継母を含む一家3世代4人から虐待され死亡した事件があった。連れ子であったその子に対して虐待が始まったのは、実子である妹が生まれてからだという。「妹に乱暴した」という理由で日常的に行われた暴力により、その子の歯は折れ、あごは裂け、最後は外傷性脳障害で死亡。「本当の母親はお前を捨てた」という家族に、その子は「本当のお母さんを連れて来て」と答えた。
私にはこの言葉が、「僕を本当の子供にして」というキーワードとダブって仕方がなかった。この子が夢の中だけでも本当のお母さんに愛され、抱かれたことを祈る。
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