[コメント] 千と千尋の神隠し(2001/日)
映画をみて思うことがある。それは「湯冷め」してしまうものと、「土鍋」のようなものがあるということ。 「湯冷め」してしまうものは、私にとって言えばこの『千と千尋の神隠し』だった。見てる間やそのすぐ後は興奮しているし、まるでお風呂に浸かってるように体も心も暖まっているが、見終わったあとしばらくすると冷めて、その後作品について思い返すことがあまりない。 その反対で「土鍋」の映画は、終わったあとに何度も何年経ってももその作品の細かなところまでを思い出し、見ている最中よりも、どんどんその作品に対する思いが熱くなっていく。その熱はじわじわと暖まって、ぐつぐつと煮え、じんわりと芯まで暖まる「土鍋」式。もう話の筋も全て頭に入っているのに、レンタル屋でつい借りてしまうものに言える。例えば私にとって『スライディング・ドア』、『アメリ』、『スパイダーマン(1)』などがそれだった。
宮崎駿監督の映画は「土鍋映画」が多いのに、『もののけ姫』『千尋』とどちらも「湯冷め映画」だったので残念だった。しかし『ハウルの動く城』はまた見たいのだ。でもそれが土鍋の熱なのか、まだ湯冷めしていないだけなのかはわからないけど。(04/12/8 記)
追記:千尋とハクが空に浮かぶシーンをCMでみた父が、「あの子(千尋)目ぇから泡出てる!」と叫んだ。 「お父さん、涙やって。」
下記は過去レビューです。掲載させていただきます。
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「駿のポニーテール革命」。 (なんとなくレポート調に書いてみました)
2001年夏。『千と千尋の神隠し』を見た後の感想は、「今までの宮崎アニメと雰囲気が大きく違う。なにがどう一番違うのか・・」。それはヒロイン像の改革、というのが大きな違いだった。それが大きく現れているのは、千尋のポニーテールに見る、新たなヒロイン像である。 宮崎アニメにおいて、ポニーテールの(少)女は、『天空の城ラピュタ』の親方の奥さんに始まり、『魔女の宅急便』のウルスラ、『紅の豚』のフィオと、全て活発なしっかり者キャラだ。 しかしこの千尋もポニーテール。 ここが一番の宮崎スタイルの大きな変化ではなかろうか。 今時っぽい、いかにもぐずぐずとした小学生。石を飛び越えるにも、階段下りるにもへっぴり腰。『未来少年コナン』や『アルプスの少女ハイジ』も彼女と同年齢くらいのキャラだが、彼らには考えられない描写だ。 しかしこのへなちょこ少女はポニーテールである。駿アニメでは活発少女の象徴とも言えるあのヘアスタイルが、このぐずぐずキャラの千尋の髪型になっている。後れ毛が顔の周りに落ちているあたりが彼女のグズったさを表しているが、この髪型こそに、駿の新たな改革を見た気がした。そして、千尋は歴代のポニテキャラ達のスピリットに目覚め(たとしよう)、立派に生きる力を発揮して、活き活きとした少女になった。(03/4/17)
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