[コメント] 十二人の怒れる男(1957/米)
アメリカの司法制度こそ問題があるかもしれないけど、アメリカの陪審員制と、正義を求める感情は、すべてではないけど、とても尊いものだと思いますが。この映画が、
この映画が日本でコピーされると、三谷幸喜や中原俊也のように、物語の技術としての構図だけの引用となってしまい(それが意図されたことでしょうが)、幹にある心根が削ぎ落とされてしまう。この映画の上手さは、法廷劇でもあるのだけど、人の心の動きの描写だ。そして、その動きが作られているのはアメリカ人の愚直なくらいの正しいことへの求心力ではないだろうか!と、机を木槌で叩く気持ち。
さらに映画とは関係ないけど
たしかにアメリカの訴訟好きは弁護士制度、司法制度に問題はある。しかしながら、誰でもが、何が正しいのか裁く側につかなければならない。という陪審員制度は、アメリカ人の何がいいことなのかを知りたがる力と、過剰なくらい正義が好き。という側面を保っているところは、アメリカが同時に抱えている闇と合わせて尊い。
いや、もう、何を書いてるか分からなくなっているついでに、ぼくの強引なアメリカ感は、「平和主義と暴力好き」という相反する均衡する力を抱えているところで、それが、文化にも何にでも表れるよ。そして、日本は、力が無いよ。ってだらだら思ったりしてますよ。
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