[コメント] ドリヴン(2001/カナダ=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
あたしゃシルベスタ・スタローンが嫌いだった。何故って、男臭いから。その全身から漂うあの汗と得体の知れない泥臭さがどうも好きになれなかった。
中学校時代スタローンのファンの同窓生が、BB弾を撃ちまくって遊ぶ姿も好きになれなかったし、休憩時間彼の真似をして「エイドリアーーン」と言うのも嫌いだった。(単にそいつが嫌いだっただけか…)
男が惚れる男とは、往々にして女からは共感を得にくいもので…。
だから、あのエピソードを聞くまではあまり彼の事好きじゃなかったのよね。
あのエピソードとは、この『ドリブン』のPRで来日した時の事。過去何度も日本にやってきているスタローンは、今までのように盛大な歓声で出迎えられると思っていた。ところが、彼の予想を反して若い女の子の黄色い声援は、キップ・パルデューへのものばかり!
とうとう、むっつり顔になってしまう始末。
慌てた映画関係者は、その辺にいたスタッフの女の子を呼び集め「きゃーーーー、スタローンさまーーー!!」とやらせたらしい。それを聞いたスタローン、途端に上機嫌になって、いい気分で日本を後にしたとかしないとか。
もんのすごーーーーく可愛いわ!!
おかげで、普通なら絶対手を出さないこの映画を借りてみるきっかけになったのですが、これがまた面白い!
「つまらないだろうなぁ〜」と思って、あらを探しながら見ていたけれど、結局楽しんでしまった。しかも、今まで見た映画の中で一番今の日本らしい日本が描かれていました。ヤキソバ、焼き鳥の屋台。茶髪に染めた若者達。怪しげな店も出ていないし、好感度アップ!
しかも、スタローンの使い方もいい!!若者に栄光を譲りながらも、決してかっこ悪くない演出。この具合がいい。
一番新鮮だったのは、「悪人」がいない事。悪のいないこの映画がここまで魅力的なのは、百戦錬磨の人生を送るシルベスタ・スタローンの人徳なのかなぁ。大きな栄光を味わい、転落や裏切り、同じ人間の見せるあらゆる汚い部分を現実社会で味わった人だからこそ、描ける人間関係なのかもしれない。
↓シルベスタ・スタローンの略歴を書いてみました。よかったら読んでみて下さいね〜〜。彼をもっと好きになれる……かも。
ニューヨーク、ヘルズ、キッチン(地獄の台所)! 貧しいものがひしめき合う、「物騒」という言葉がふさわしいこの街に、1946年シルベスタ・スタローンは生まれた。
シシリア系イタリア移民の父に、コーラスガールの母の長兄として生まれた彼は、生まれた時から苦しい境遇に立たされていた。出産時、医者のミスで神経を傷つけられたのだ。あの閉まる事のない口は、左側の唇、顎、舌の半分が麻痺してしまった影響なのだ。今でも早口で離す事の出来ない彼は、独特の発音で話す。
彼が一番災難だった事は、そのせいで内気になった彼を、両親が周りの者と一緒になって苛めていた事だった。『お前は頭が良くないから、体だけは鍛えておけ』そう父に言われた事が、彼の原点となったのは、皮肉だとしか言いようがない。
愛情さえも与えないまま、彼が11歳の時に離婚してしまった両親のせいでか、スタローンは、不良への道をひた進んだ。14回も停学・退学処分!ついに15歳の時には、問題児矯正学校に入れられたというから、その不良ぶりは相当なもの。
ついには、アメリカのどの高校でも受け入れてもらえず、カナダで高校を卒業するのだった。
マイアミ大学で演技の勉強を始めるが、学費が払えず2年で中退。その後ニューヨークに移り住み、本格的に役者を目指したのだが、彼を待っていたのはながーーーい下積み時代。生活費を稼ぐためオール・ヌードのショーや、ポルノ映画に出演していた事は有名!「馬」として大成しつつあるも、それに甘んじなかった彼は、極貧のまま運命の時を迎えた。
74年に結婚したサーシャのお腹には、赤ちゃんがいた。翌年7月6日、彼の29歳の誕生日。この日、世界が熱狂した世界ヘビー級タイトルマッチ『ムハメド・アリVSチャック・ウエブナー』の試合が催されたのだった!
彼らの試合は、スタローンの熱い魂に火を付けた!この試合に感動した彼は、たった3日間であの『ロッキー』を書き上げたのだ。ここからもすごい!
脚本は、すぐに気に入られ、有名俳優(アル・パチーノ、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードらが候補だった。)を使う条件で7万5千ドル、最終的には33万ドルもの高値をつけたのだった。
けれど、お金に困っていたにも関わらずスタローンはこれを拒んだ!「俺が主演をする!」この男の情熱にプロダクションはついに折れた。けれど、スタローンに支払われたのは、俳優組合が定める最低金額の出演料と、2万ドルの脚本料だけだったのだ。しかも、制作費はテレビシリーズ1本分。
けれどスタローンは、満足だった。自分の懇親の脚本を自分で演じられるのだから。
『ロッキー』は、プロダクションの思惑とは違う方向へ動いた!多くの者の共感を呼び、売れに売れた!そして信じられない事に、アカデミー作品賞までもを受賞したのだった。
無名の彼が、彼の思いをぶつけたこの作品で、一躍トップアクターの仲間入りを果したのだった!!!
その後も彼の人生は平坦ではない。二度の離婚の末、内縁の妻となっているモデルのジェニファー・フレイビンとの間に生まれた娘ソフィアが、96年「心臓の穴を閉じる大手術」を受けたのだった。スタローンは、この事がきっかけで『児童心臓病研究財団』に寄付などの協力するようになるのだが、彼ならば困難を乗り越えられると信じられるのだった。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (6 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。