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[コメント] メメント(2000/米)

「表現」と「仕掛け」がごったまぜになっている。そこに作為がにじみ出てしまった分マイナス1。同じ手法で前向健忘症患者の恋を描いた作品を観てみたい。加えてDVDも観て考えた興味深いコト→
るぱぱ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







疑似体験の表現手法が秀逸であるが故に、謎解きがジャマ。

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DVDを観ると正しい時間軸に基づいた特典映像が入っている。当然、見れば全体の話の流れは一気に分かる。この企画自体の是非はちょっと置いといて、ここにあまりに「あたりまえ」で重要な事実が含まれていることに気づく。

すなわち、「ただ並べ直しただけ」の映像であるが故に、間違いなくそれは、主人公他全員が共有していたはずの「世界」であり、「事実」であるといえる。もちろん、本編を観ている時点では、観客は悲劇の主人公の感覚で「世界」を見ているから、その「事実」は異なるモノとして印象づけられ、勝手に「謎」となり、かくして最終的に謎は解ける―ということになる。

ここで正しい時間軸で並べられた方を見ると、観客は(主人公から見た)「主観」と「客観」の両方の視点から物語を見ることになる。間違いなく驚かされるのは、その「経過時間の長さ」の違い。次いで「キャラクタの印象」の違い、である。長い長い時間をかけた復讐劇だったはずの本編はわずか数日の間のことであり、悲劇の主人公はただのアブナイ奴だ。

これはひとつには、「時間」って奴は「絶対」のものではなく、ただ単に「共通の約束事」に過ぎないということであり、もうひとつにはかくもかように「主観」と「客観」にはギャップがある―ということである。

思うに「世界」はそこに絶対的に存在しているワケではなく、他者との関係において「成立」しているだけの「事象」の積み重ねである。そして(同じ映像であるにも関わらず)悲劇の主人公がただのアブナイ奴がに変身するのは、「心象」の積み重ねである。

どの「世界」(ただ共通に認識しているだけのモノ)にも「事実」(記憶でもなく記録でもなく)など存在せず、そこにはただ「事象」と「心象」が現れては消えていく―それが映像表現として「記録」されているのである。

なんというアイロニー、なんというパラドクス。

しかし、これだけのことが(しつこいが企画自体の是非は置いといて)本編と「時間軸正しい版」の両方を見ないと分からない―ていうのが、「謎解きがジャマ」っていう言葉の真意です。だって本編だけじゃ「事実」が分かんなかったんだもん。

ご静聴ありがとうございました。

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ちなみにもし私が制作者だとしたら、こんな特典映像、企画出された時点で相手の首しめます。加えて余談ですが、作品を観ている間中、私は宮沢賢治の「春と修羅」の「序」に思いをはせていました。いじょ。

(評価:★4)

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