[コメント] リリイ・シュシュのすべて(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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彼らと同じ年頃の自分を振り返ってみると(80年台は、まだ良い時代だったのかもしれないが、)、不良にからまれたり、いじめにあったり、といった経験は殆ど無かった。 かと言って、自分が酷い非行に走っていたわけでもなく、増して登校拒否児だったわけでもない。 友達には、かなり恵まれていたと思うし、クラスでは(お調子者とは言われていたが)、それなりに人気があったと思う。 クラブ活動も普通にこなしたし、優等生ではなかったが、成績は悪い方では無かった。 だからというわけではないが、親や教師との関係に、修復できないほどの亀裂が生じさせることも殆ど無かったと思う(普通に反抗期というのはあったと思うが)。
決して自慢をしたいわけではない。少なくとも、蓮見(市原隼人)や星野(忍成修吾)、もしくは津田(蒼井優)や久野(伊藤歩)の様に、荒んだ少年期を送ったという記憶は無いということを言いたいのだ。
しかし、そんな自分でも、どういうわけか少年期を振り返ると、星野が感じていた疎外感や、蓮見が感じていた自立できない自分への葛藤と同種のものを、いつも胸の内に抱えていたように思う。だから、捌け口を見つけて破壊行動に走る星野の気持ちも、内に閉じこもって逃避行動に走る蓮見の気持ちも、自然と理解ができた。
でも、考えてみれば、それが思春期というものなのではないのだろうか? 誰しもが同じような悩みを抱えていても、当の本人は全くそれに気が付かない。かといって、誰かが助けてくれるわけでもなく、何かの道標があるわけでもない。必死に自問自答し、悩み、葛藤し、時に傷ついても、答えが見つかるわけではない。でも、そんな時期を乗り越えなければ、一人前の大人にはなれない。思春期とは、そんな時期なのではないだろうか?
この映画は、そんな多感な時期を、上手く乗り越えることができなかった少年少女を描いているが、不思議と悲壮感は感じなかった。彼らが各々悲惨な末路を歩んでゆくのは、彼らが悩みの縮図的な存在として描かれているからだと思ったからである。 だが、悲壮感は感じなかった一方で、そんな悩みと上手くつき合えない彼らの姿を見ているうちに、自分の少年期の苦い思い出が幾つも思い起こされ、深い嫌悪感に苛まれてしまったのは事実である。
特に、蓮見の姿を見ていると、中学生の頃、横でいじめられている奴がいるのに何もできなかったことや、他人が傷ついている姿を見て「大丈夫?」の一言もかけられなかったこと、「ありがとう」の一言がいえなかったこと、好きな女の子の前で何の言葉も出なかったことなど、少年時代の弱々しい自分が思い起こされて、本当に嫌な気分だった(ちなみに、採点が4点止まりになったのは、そんな弱い蓮見に残された最後の決断<つまりは自殺>を彼がしなかったからだ。・・・何て書くと問題かもしれないが、本当にそう思ったのだから仕方が無い。)
とは言え、本作は決して説教臭い映画ではないし、自殺や少年非行を是認している映画でもない。淡々と思春期の悩みに飲み込まれ、灰色の世界に堕とされてゆく少年少女を描いているだけである。だから、この映画から何かのメッセージを受け取ろうと思って観た人にとっては、期待外れで、案外共感し難い作品なのかもしれない。
でも、思春期という時代を無難に乗り越えて十数年も経った大人にとって、本作はとても新鮮だった。一般社会に出ると、思春期の悩みなど、屁でも無いほどの大きな悩みに幾つも遭遇する。そんな経験を経ると、思春期の悩みなど些細なことで、忘れてしまいがちだが、あの頃、そんな悩みと真剣につき合ったという経験が、今ではとても大事だったと思う。そんなことが再認識できただけでも、この映画は、私にとって貴重な存在である。
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