[コメント] ハリー・ポッターと賢者の石(2001/英=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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デジタル処理された画面の、なんとこぢんまりと手のひらに収まってしまいそうな位にまとまった眺めか! そこには魔法のダイナミズムも原作が伝える愛の物語もアメイジングさのカケラもない。
あるのはお手軽な「ファストフード感覚」だけ。 カンタンに手に入る感動を、お手軽に二時間チョットで味わうためのアトラクション。
「本格的イギリス風のローストビーフ」をご馳走になろうと思って席に着いたら、薄切りしゃぶしゃぶ用牛肉を湯通しして塩振りかけたモノを食パンに挟んで「コレがそうよ」と差し出された気分に近いか・・・? コレって世界中のどの街に行ってもgapやスタバの店がある風景を見るのと似た感じを受ける。
イカニモ万人がナットクしそうな「それらしい作り」 でもソコにはホンモノは存在しない。 魔法の瞬間のときめきやオドロキも、自分の中に確かに息づく愛も画面にはついに現れずじまい。
塔の上から夜空に羽ばたくドラゴンやCGじゃあなくて、実際に調教師が操って一斉に空を舞うふくろうたち達の姿を見たかったなあー! この「残念さ加減」は『キャスト・アウェイ』で●●の回想シーンがナカッタのと同じくらい、イヤ、それ以上だわ。
原作は読んで感動の余り最後は号泣したが、この映画にはソレが全くなかった。 お手軽に話を進める余り、原作の魂をドッカニ忘れて来ちゃったらしい。残念無念。 でも、娘は「大満足!!」と大喜びだったから☆=3にしておく。 ホントはワシ的には☆=2だけどー。
2001/12/7 追記
思うに、「映画化が失った原作の魂」とは「死んでも人間には残せるモノがある」という部分ではナカッタか? ニコラス・フラメルはそもそも何故、賢者の石を手放す気になったのか?そこが原作では重要なエピソードになっている。 コレは大変この物語の核になっている部分であるし、ハリーが何故「あの人」を寄せ付けず、身が守れたか?の謎解きにもなっているのに。
映画では軽く「さらり」とこの「一番肝心な部分」(ソレはワシが原作を読んで感動の余り号泣した部分でもある)を流したセイではないか?>「魂の喪失」
原作者は「死は誰にでも訪れるもの。でもソレは単に消えて無くなることではない。それでも残るモノはあるのだ。ソレは愛そのものだ」と語っているではないか? それを映画は「ドッカに置いてきちゃった」ソレが「ワシ的に大不満」な理由。 原作読むベシ!「映画だけを観ている人生はツマラン」ぞお!!
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