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[コメント] 修羅雪姫(2001/日)

アクションとちゃんは良い!彼女、低音ボイスだけでなく、佇まいも落ち着いていて陰があって、そりゃあ、まだまだこれからだけど、次が楽しみだ。ちなみに、次は何に出るんだっけ?何でもいいから、みんな見に行こうぜ!(←白々しい)
kiona

 『マトリックス』の登場でもはや常套手段となってしまった、既存のアクションをCGとワイヤー使って料理するタイプの“特撮”を、この映画も売りとしているわけだが、つい最近見た『リターナー』の恥じらいのない剽窃に比べて、この映画のそれはオリジナリティが感じられた。ドニー・イェンの介在が大きく、殺陣というよりは香港アクションであり、Waldenさんも仰っている“日本刀のフェンシングのような使い回し”などは、『椿三十郎』的美と相反する代物だ。しかし、例えば雪(釈由美子)が脱走した仲間を狩った時の殺陣など、叩き斬る瞬間を複数カットで誇張するという今風な演出をしながらも、その次のカットでは全身ショットで“残心”を表現していて、総体としては和洋折衷の面白さを醸し出していた。冒頭の例の身を翻しながら飛んでくる弾丸を刀ではじき飛ばすというシーンなどは、ハリウッドには出てこない発想、強いて言うなら漫画的な発想であり、鮮やかだ。たったワンシーンの未来の景観共々、樋口真嗣が施した数アクセントが全編を引き締めている。また釈由美子が驚く程良かった。

 ストーリーは…有り体に言って、この映画は『雪VS白雷』それだけなのだが、それだけでよかったはずだ。だから、それだけにするべきだった。単純に考えて、この映画は、たった二つのシーンに収斂している。前半部、母の謀殺を知らされた雪が仇である白雷に挑みかかるシーンと、後半部、雪と白雷の再戦。前者のシーンは、その切なさ、哀しさを、の熱演と受け皿嶋田久作の名演とそれぞれのアクション、つまり映像のみで表現しきっている。だが、それが後者のシーンに継承されていないのはどうしたことか。

 前者にあっては復讐という能動態だった雪が、後者にあっては受動態となってしまった、この点が脚本のちぐはぐさを集約している。例えば、白雷が主君を失い堕ちていった侍の悲哀を独白するシーン、そのシーンの嶋田久作が非常に素晴らしいのだが、どうしてこのキャラクターをもっと膨らませなかったのだろう? また、雪と白雷の中心線たる雪の母親だが、彼女を巡る二人の相克に拍車をかけるために、雪と白雷の疑似親子関係をもっと強調するべきではなかったか? その上で、復讐劇に焦点を絞るべきではなかったか? そうすれば、クライマックスはもっと活きたはず。作家はそれをやらず、代わりに雪の自由と感情の再生を描こうと、隆(伊藤秀明)を用意した。だが、本筋(雪)に絡まない彼と木所(佐野史郎)の革命/テロ・ネタは単体として魅力が無く、作品の密度を薄めるのみ。雪と隆の交流も取って付けたようで、隆の前で饒舌になっていく雪は、彼女自身の像を狭めていっただけ。結果、何よりも表現したかったのであろう“手に入れかけたものを失う雪の悲劇”は、演ずるの熱演共々、空回りで終わってしまっていた。

 もう少し脚本を煮詰めれば、化けたと思う。惜しい一本。

(評価:★3)

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