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[コメント] モンド(1996/仏)

野生のままの世界の美しさに、子供の頃のように、再び目と耳を開くという至福。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







文字を知らないモンドは、アルファベットを物の形に擬えて教える小父さんと出逢い、まるで象形文字のように習い、また、気まぐれに文字を並べて、その音の響きを楽しむ。意味に縛られた言葉の手前、目と耳で味わうものとしてのアルファベットに触れる、モンド。それは、なまのままの、野性のモンド(世界)だ。石という、自然の中から拾い上げられた素材に描かれた文字は、紙の上のインクという抽象体とは別次元の言葉の力を秘めて見える。「星たちの会話は、文字を知っていても理解できない」。地上の星としての石?

原作を、フランス語、つまりアルファベットの並びとして読めた人は幸福だ。映画の方は、もう少し開かれた形で「世界」が開かれているので、それを観られる僕らは幸福だ。

この、言葉の物質性のもたらす至福と対照的なのは、書類の提出にこだわる役人による、移民や浮浪児の強制収容。文字として登録されていない人間は、野良犬のように管理体制に閉じ込められていく。町の人々は、住所を持たない(=文字として登録されていない)モンドにいつしか手紙が来たように、世界そのものとしての少年を受け入れていたのだが、彼が連れ去られて、世界はその輝きを陰らせるのだ。なんという悲劇だろう。

海の向こうから流れて来た、アラビア文字が書かれたオレンジもまた、意味以前の遠い世界を垣間見せてくれていた。異国といえば、モンドを家に招いてくれる、ベトナムから来たユダヤ人の老婆。彼女の庭の緑の中で寝込むモンド。招かれた家の中を照らす、金色の光。老婆は言う、「太陽が作った光よ」。「お金持ちなんだね」と返すモンドに、「誰のものでもないのよ」。モンドもまた、葉の上の水滴を飲み、スーパーの売り場から菓子を取り、リンゴをひょいと掴んで女の子に手渡そうとする。世界の糧は、誰の物でもなく、故に全ての人の物なのだ。

聞いた話では、或る南国では乞食が悠々と暮らしているらしい。働かなくても、すぐそばの自然から食べ物を取ってくればいいからだ。そうした、自然の糧に庇護された、天衣無縫な生き方をするモンドも、合理化された社会からすれば、ただの万引き少年という訳なのだろう。スーパーの場面は原作には無いものだが、モンドと現代社会の隔たりが一目で分かる、巧い演出だ。

画的な素晴らしさでは、地平線と、綱渡りの綱が一致するショットをまず挙げたい。天と海をつなぐ、存在しない線の上を渡る大道芸人。映像でしか為し得ない、詩的な魔術。他にも、水滴に目を瞬かせる犬や、赤ん坊の笑顔、小舟の上のモンドを照らす光、波に転がされる石の鳴る音など、目と耳に美しく訴えかける世界の諸相が次々と現れる。これらが、ただ文字で書かれただけではなく、本当に在る世界の一角から映画として切り取られたものなのだという嬉しさ。

(評価:★4)

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