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[コメント] ターミネーター(1984/米)

シュワの大根演技(誉め言葉)が稚拙な「人間ぽさ」を醸す時に、簡単に機械に模倣され還元されてしまう人間存在の危うさを呟いた押井のボサボサ髪が頭をよぎる。しかしそんな思念を容易くぶっ飛ばすビーンのどこまでも人間らしい汗臭さのコントラストが今なお熱い(ビーン万歳)。鋼鉄製のストーカーと漢とイモ姉ちゃんのSF三角関係。発想と単純化と突き詰めの執拗な反復と円環。そして「体液の作家」の真骨頂(か?)
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







つくりものっぽいシュワの隆々の肉体に対し、たいへんスマートなビーンの肉体とこれまた自然でミョーに肉感的なハミルトン(冒頭で「イモ姉ちゃん」と書いたが変にキレイよりよっぽどいい。むしろ可愛い?)のラブシーンがミョーに生々しく、タイムパラドックスのSF的な醍醐味は割とどうでもよく、とにかく肉体と非肉体の戦いであるという印象が強い。

「負傷」したシュワが自らの肉体を「治療=修復」する時、いかにもその血液は「模倣=カモフラージュ」の産物である、という偽物的質感でこの目に映り、一方の「負傷」したビーンの血液、汗はまさに生身のもので、その「体液」の表現が優れている。ここで、かつての「アツいジェームズ・キャメロン」とは「体液(生身感)の作家だった」という表現をしてみたい。これはどうも多分に「えっちい」表現で、ただでさえ「えっちい」ラブシーンの「えっちさ」が更に加速してしまうので我ながら辟易してしまうのですが、「えっちい」映画であることには変わりないと思います。もちろん卑猥という意味ではありません。それはアクション映画の要件であるはずなのです。

きれいごとでない汗、涙、唾液、血液。「体液」を見事に表現してこそ、映画的な威力がまた宿ることがあると思うのです。そしてそれは偽物の肉体との対比の中で一層輝くことになった・・・(今私はある表現を用いることを巧妙に避けていますが、そのへんはお察し下さいませ)

それは「におい」と表現してもいいのかもしれない。いみじくも、劇中のサイボーグに対し、「犬」が無臭である機械の嘘を察知して吠え立てる。ビーンの演技はどうだろう。やや過剰ながら、彼は「におい」そのものではないか。

・・・やはり私の中で『アバター』に納得いかないのは、「体液」そして「におい」が度外視されていたからなのです。それはやっぱし嘘だと。「体液」なくしてキャメロンは(映画は)あり得んのだと。何でその最も優れていた作家性を自ら否定するような映画を撮ったんだと。そう主張しておきたいです、この際。

眉消失後のシュワの威圧感が素晴らしい。

(評価:★4)

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