[コメント] 息子の部屋(2001/仏=伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
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もう10年以上前の、まだ学生だった頃のことだ。
一度しか会ったことのない少年の母親と名乗る人から、いきなり電話をもらったことがあった。「あなたが撮影した写真は、私の息子の最後の写真らしいのです。」彼女はそう言って、電話の向こうで嗚咽をはじめた。何か思い出話を聞かせてほしいと何度も請われ、けれど私は<本当に>彼に対して強い印象も思い出もなく、ただ黙りこむしかなかった。
その人は友人の友人で、友人たちと画廊を借りて絵やオブジェ等のグループ展をしていた際、オープニングパーティーに来ただけの人だった。私は単にいつも持ち歩いていたカメラで、そこに参加していた<彼>の写真を、たまさか撮っていただけだった。なんだか寂しそうに見えたから、話の糸口になればとカメラを向けただけだった。けれども話は続かなかった。
そしてその数週間後、その少年は軽装で冬山へ行き死んでしまった。事故だったのか自殺だったのか、それさえも私はいまだに知らない。
母親は彼の東京での生活を追い、私にまでたどり着いたとのことだった。そして、よほど仲がよかったのかと勘違いし(またはそう思いたかっただけなのだろう)、電話をかけてきたらしかった。結局、彼女の思い出話を一方的に聞いた後、写真を送付すると約束して受話器を置いた。
たった一度の逢瀬でも、そしてそれがどんなに些細な出会いだったとしても、その場に立ち会わなかった残された者にとっては、ひどく貴重な場合もある。そのことを、私が初めて知らされた瞬間だった。少し変形した「一期一会」の大切さを、ふがいない自分に対する罪悪感とともに思い知らされた体験だった。
母親が耐えきれずにアリアンナに電話をかける場面で、あの時の彼女のすがるような涙声を思い出した。アリアンナの方から連絡をとったぐらいなのだし当然と言えば当然だが、それでも、最後の「親の知らない写真」を持っていた人が、本当に彼をよく知る人でよかったと思った。「ひょうきんな写真ね。」といったコメントに、いっしょに笑えるような立場の人で、痛みを分け合えるような立場の人で、本当によかった。
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