[コメント] カンダハール(2001/イラン=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
観終わったあと引っ掛かったのは、ブルカに隠されて半分もまともに見ることのできない、主人公の女性の憂いを帯びた表情。どこかで観たことがある。そんな既視感の源は、同じイラン映画『桜桃の味』においての主人公の男性の表情だった。そうすると、一つの疑問が浮かんでくる。
「そもそも彼女に妹などいたのか?」
いや、これは少し言いすぎかもしれない。だが、主人公の彼女の物憂げな表情は、自殺を考える妹を励ますようなポジティブな精神とは、少しかけ離れた印象を受けた。(むろん、命を賭してカンダハールまで向かう行為は、バイタリティに満ち溢れた行為ではあるが…)むしろ、生きていくための目的が必要だったのは、彼女の妹ではなく、彼女本人だったのではないだろうか。
そうすると、生きていくことの意味を探る旅というのが、この話の本筋だったような気がする。赤十字センターで、足を手に入れようと、虚偽の自分を作り上げていく男。彼は人がたくましく生きていく姿そのものであり、それは家族の背景が実はあやふやな、主人公の彼女の存在とも重なっていく。おそらく重なっていくのはその男だけに限らず、医者も子供も、足を失った人たちも、そうなのであろう。
「日の陰るとき」に自殺を予告する主人公の妹は、主人公の陰の部分を示唆していたのではないだろうか。(もっとも、イスラム圏での日食の意味には、他にもさらなる意味がこめられているのかもしれない。)また、カンダハールへの道は、彼女自身が生きていくことへの目的を意味していたように感じる。そう解釈すれば、ほとんどの部分が自分には腑におちてくる。鑑賞中は眠気をさんざん誘っておきながら、この切り口に思い当たってからは、実は傑作なのではないかと思い直した。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (9 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。