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[コメント] マルホランド・ドライブ(2001/米=仏)

「世界はスライスハムのように繋がっている。そこではこれから起こることとすでに起こったことが共にあり、見えるものと聞こえるものの間につながりが無い。そこは完全に連携し構築された全く不完全な世界なんだ」
ハシヤ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







そうリンチは言った。といってもそれは俺の夢の中のリンチなのだけれども。

友人と1度目を観た。観終わって「ぎゃはははなんだこれワケわかんねえよでもスゲえよなんだこれぎゃははは」と2人でしばらく涙流しそうになりながら狂ったように笑った。だってワケわかんねえんだもん!でもだってしかも確かにココロ打ち震えたんだもん!でもワケわかんねえぎゃははは。それからしばらくたって眠気の中1人で2度目を観て、観終わってすぐ床に就いた。そして半覚醒のまどろみの中ふいに気づいた。たゆたい分裂した思考の中気づいたんだ。急に繋がったんだよ!全てがベンゼン環のように美しく繋がったんだよ!本当なんだよ!しかもリンチの解説入り(↑上記)で!

次の日俺は友人に会うなり開口一番「謎は全て解けた!」。得意げに解説する俺。ペラペラペラ。俺…。ペラペラ…。…あれ?話せば話すほど消えてゆく自信。友人にツッコまれればツッコまれるほどほつれていくロジック。さらされればさらされるほどくだらなくバカバカしく見えてくる俺のベンゼン環。…あれー?? いや!でも!それはそれでいんじゃない!?真実の真相なんてきっとどれもくだらなくてバカバカしくて説明してるうちに変質してとっちらかっちゃうようなものなんじゃない!?たとえば、「カガミって、左右は逆に映るけど、なんで上下は逆に映らないの?」っていう小学生の純粋で単純な質問にちゃんと小学生でも分かるように誰か答えられるだろうか?俺はそれ考えててしばらく日常生活に支障をきたしていたよ!そんで結局俺の導き出したのは「カガミは場合によっては上下逆にだってうつるし、場合によっては左右逆にうつらないこともあるんだよ!」っていうバカげてふざけた解答だった。でもこれも真実なんだよ!(さあ考えろ)しかも映画の真実なんて映画観た人の数(xもしかしたら観た回数)だけあるんじゃねえの!?俺の掘り出した真実なんてそのなかのほんの1つにすぎねえ。意味なくない?いや、意味なくなくなくなくなくないね。何故なら俺の真実によって他の人の真実も少なからず変質せざるをえないからだ。例えそれがうんこ並の真実だとしても。

さて簡単なことなんです。複雑が簡単に繋がっているだけなんです。言葉にすると陳腐でポンチ絵並にくだらない真実なんです。それはつまりこういうことなんです。

鍵を開けるまでの世界を「Aの世界」、それからの世界を「Bの世界」とするとこういうことなんです。

「Aの世界」は「Bの世界」から来たものによって変えられた「Bの前の世界」なんです。だから「Aの世界」から「Bの世界」へ繋がりはしないんです。逆に「Bの世界」から「Aの世界」へ繋がっているんです。「Bの世界」から「Aの世界」に行ったのは2人。「名まえの無い女」と「顔の無い死体」です。その2人はそれぞれ「名まえが無い」故に、そして「顔が無い」故に世界をまたぐ事が出来たんです。だってそうじゃないと世界が破綻してしまうから。そうじゃないと「カミーラという名前の女」が2人、「Aの世界でのベティの顔をした女」が2人になってしまうから。しかしそれでも「名まえの無い女」は「顔」を、「顔の無い死体」は「名前」を持ってきてしまったので、世界には修正が必要だったんです。「カミーラという名前の女」の顔は「Bの世界で特に名前も無かった女」の顔に、「Aの世界でのベティの顔をした女」の名前は「Bの世界でたまたまウェイトレスをしていた女」の名前に書きかえられたんです。両方「世界」にとってあまり影響の無い部分から入れ替わったんです。そもそもこの世界では「見えるもの(顔)」と「聞こえるもの(名前)」に繋がりなんてあるようで無くていいんです。大家のココが映画監督の母のココになっていてもいいんです。だって「Aの世界」では映画監督の母の出番は無いし「Bの世界」では大家の出番は無いからです。ただその「修正」によって世界がうまく動かなくなる部分が出てきます。何故なら「人の性質」というものは「名前」ではなく「顔(見た目)」についていくものだからです。本来オーディションに受かるはずの「カミーラという名前の女」は「Bの世界で特に名前も無かった女」になってしまったがためにオーディションに受かるはずがなくなり、カウボーイ達がそれを無理矢理「軌道修正」しなければいけなくなったりするのです。しかしそのほつれも時間と共に限界が来ます。「名前の無い女」はいつまでも「ただの名前の無い女」ではいられず、「顔の無い死体」もいつまでも「ただの顔の無い死体」でいるわけにはいかないから。

そう!だから!「クラブ・シレンシオ」に行かなくちゃ!

「クラブ・シレンシオ」で説いているのはこの世界そのものです。この世界のしくみを知り、「名前の無い女」と「顔の無い死体」の正体を知って、2人は涙するんです。しくみを知ったからにはそのしくみを閉じなくてはいけない。箱と鍵でもってこの世界を閉じなくてはならない。そして世界は閉じられる。あるべきはずでない世界はどこにも進まず、ただ閉じられる。そう、だから2人は泣く。だから僕も泣く。だからそこから「Bの世界」には繋がらない。そして最後まで描かれていないのは「Bの前の世界」つまりは「本来のAの世界」。そこでは「Aの世界でのベティの顔をした女」は「ダイアンという名前の女」で女優を目指し、「Aの世界での名前の無い女の顔をした女」は「カミーラという名前の女」でその美貌ゆえにオーディションに受かり、その2人は知り合い「Bの世界」へと続いていくのです。当然「本来のAの世界」での大家はココではないでしょう。でも誰でもいいんです。きっとあの占いおばさんあたりがやってんじゃないかなあ。

さてここまでの(俺の)真実を知っていったいぜんたいどうだというのだ。俺はこの真実がこの映画にとって全く不必要な真実であることを知っている。この映画の中身は真実とは全く関係ない場所に存在しているということを知っている。さらにこの真実自体が「ぜんぜんワケわからねえよぎゃははは」の域を脱していないという事実に俺はションボリするべきなのやらぎゃははと笑うべきなのやら。

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真実なんてハッタリ。アンドアイラヴハッタリ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH くたー[*]

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