[コメント] ビューティフル・マインド(2001/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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観始めた頃は駄作の香りが漂っていたのに・・それが見事に覆された。そんなマイナス予想を裏切り、私を心地よく騙してくれた映画だった・・・だった、はずなのにっ!ノーベル賞の場面で興ざめ。
「架空の友達」で思い出すことが有る。子どもは良く「架空の友達」を作る(自分にも経験有り)。それは、人形だったり、その子ども自身だけに「見える」友達だったり。自我に目覚めた2,3歳の子どもは、同時に他者に興味を持ち始める。しかし、他者との交わり方を知らないために、始めはひたすらケンカを繰り返し、他者と交わりたいのに交われないジレンマに襲われる。そういうなかで、自己を肯定してくれる「秘密の友」を自分のなかにつくりあげるのだといわれている。
普通の子どもは、他者のなかに自分との共通項を見つけ、それを認め合い賞賛しあいながら大人になっていく。それに併せて「秘密の友達」も消えうせてしまうのが普通。しかし、天才と称される人のなかには、その才能ゆえに理解者が得られず、いつまでも自身を肯定する友を所有しなければ生きていけない人間もいるのだろう。
この主人公はまさに、そういうカセを背負った人間として描かれている。「ハトポッポの動き方」の研究をしていた彼は、「新しい経済理論」を研究する人間へ変貌していく。と同時に、彼の周りに、彼の「秘密の友」がうろつきはじめる。それは自己満足の世界から脱し、「他者に認知されたい」との欲求の現れでもある。そして、その感情は病的にエスカレートしていく。
彼をそうさせたのは、何か?この映画のなかでは、大学=「教育機関(または教育環境全般)」として描かれているように感じる。彼の持つ特異性を、画一的な教育と評価が押しつぶしてしまったかの如く描かれている。
そして、そんな彼を救ったのは、「愛」である(と、この映画では描いた)。しかし、彼に対する「救い」を、「愛」以外に「大学」を与え「ノーベル賞」を与え、あげくの果てに妻の愛への感謝の言葉を、根源の評価の骨頂であるノーベル賞受賞場面で語らせるというくだりは、この映画の思想の一貫性という意味で疑問を抱かずにはいられない。昔とは時代が変わってきたんだよ、とでもいっているのか?それにしても、あまりに説明不足(いや、例え時代が変わっても、ハトの動き方の研究で極めてもノーベル賞は取れまい)。映画でつくりあげた思想をむりやり史実に繋ぎ合わせてつじつまを合わせようとしたとしか思えない。(ちなみに、最後の場面において幻想が出てきたのは、自己への肯定であり「必ずしも救われた訳ではない」との意図とは私は捉えていない。)ちなみに、私は、教育制度批判とか、ノーベル賞が間違っているとか、そんなことを思っているわけでは全くない(それによって、この映画の最後の場面に違和感を感じた訳ではない)。ほんの少しの映画の思想のズレが、それまで語られてきた美しすぎる思想を一気に崩じ、うそ臭くしてしまうのである。この映画を作った監督の真意まで疑ってしまう。単に、「巧い」映画を作りたかった(ニアリーイコールアカデミー賞をとれる作品を作りたかった)のか?・・わたしはそういう映画はどうも好きになれない。
そういう訳で、私の中で盛り上がっていた感動はノーベル賞受賞パチパチシーンで一気に興ざめしてしまった。彼は、もし「ハトポッポの歩き方」の研究を理解する人間がいたのなら、「体液交換」で喜ぶ女性がいたのなら、その時救われたんだと思う。もしくは、妻の愛で完全に救われ切ったのだと思う。最後の場面は完全な蛇足である・・というか、それをみて、私は、この映画が一体何を言いたかったのか、さっぱりわからなくなってしまった。
といっても、史実だしぃ、アメリカ映画だしぃ・・といわれれば、それでおしまいだけど。
蛇足)★架空の友達役のポール・ベタニーは良い。『ロック・ユー』でも気になったが、ますます気になる。
★ちなみに、私は、「ハトポットの歩き方の研究」しちゃうような人、凄く魅力的だとおもうんだけどなあ・・。
★皆様のコメント拝見して、最後の演説は史実でないことが判明(皆様に感謝)。ウキ−ッ、あと一点さげたるッッと思いましたが、この映画の構成自体は結構好きなので、やっぱり4点。
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