[コメント] 害虫(2002/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
必ずしも少女残酷物語を目指した映画ではないのだろうから、『少女ムシェット』を望むことはするまい。とは云え、面白さに対してはもっとがむしゃらになってほしい。たとえば、宮崎と沢木哲が出会うシーン。沢木を追いかけて宮崎が走る夜のカットが、そのアクションを持続したまま昼のカットにジャンプする。よい処理だと思う。だがそれは理に勝ちすぎた、想定内のすばらしさでしかない。田辺誠一が登場するフラッシュバック・シーンは足でかけたレコードの音によって導かれ、石川浩司の叩くドラム缶の音によって断ち切られる。これもまた適切な演出だろうが、決して観客の想像を凌駕するものではない。つまり、観客を打ちのめすほどの驚き=面白さを獲得するには至っていない。石川と宮崎の火炎瓶のシーンはどうか。火炎瓶の投擲アクションと家屋の炎上がワンフレーム・ワンカットで撮り収められていればどれほど面白かったか知れないが、この映画はやはりそれをしない。もちろん、そのような(実際に家を燃やす以外に方法のない)撮影は現実的に困難だったのだろう。しかし観客とは、撮影現場水準の困難さなど知ったことかと嘯き、ただ面白さを求める業の深い人種なのだ。だからこの火炎瓶シーンをカットで割ること、およびその割り方も妥当には違いないのだが、心の底からの感動は覚えない。あるいは、沢木がねぐらとしている部屋の美術。廃墟にガラクタを並べたようなそれは確かに面白いのだが、影響元であろう黒沢清および彼の美術班の芸術的なまでのデコレーション感覚には及んでいない(磯見俊裕は『勝手にしやがれ!!』シリーズの最高作『黄金計画』の美術を担当した人でもあるのだから、やはり私は美術監督以上に監督の力量の差をそこに見たい)。
おそらく、塩田はどこをどうすればもっと面白くなるかを具体的に分かっている。それにもかかわらず敢えてその一歩手前のところで演出を踏み留めているように見えてならない。私にはそれが不可解だ。
余談に近い事柄になりますが、『カナリア』にも連なるところの塩田と向井秀徳の協力関係は映画にとって取り立てて効果的なものだとは私には思えませんでした。むしろ当時熱心にナンバーガールを聴いていた者としては、“NUM-HEAVYMETALLIC”期にあったバンドに、ナンバーガール流にストレートなギター主体のロック曲‘I don't know’制作の機会をもたらした、という点でこの映画に感謝を覚えた記憶があります。
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