[コメント] ハッシュ!(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
みなさんは、岡崎京子の『エンド・オブ・ザ・ワールド』という 漫画を御存じだろうか? 岡崎のあの魔の事故前に描かれたヤツである。 その中に『乙女ちゃん』という短編漫画がある。 これは、小津映画テイストの物語なのだが、 妻を失い、市役所を定年退職した父が、ある日、スカートを はくようになる。 娘はそのことに動じないが、息子は、父が、近所で“乙女ちゃん”と バカにされている事実に猛然と怒り狂う。
「げっ。男がスカートをはく? スコットランドの民族衣装かよ! バグパイプ持って、羊の散歩でもしてな」と突っ込んだ貴方は、 マジョリティなお方だ。オモロイこと言ってくれるじゃんと笑っちゃうけど、私は、たぶん、こういう方には、心を開かないと思う。 心の内で、ちょっと自分の固定観念にとらわれすぎじゃないんかい? と、 一線をピピーと引いてしまうのである。
漫画の中の乙女ちゃん(父)は、淡々と娘と息子に話す。
「今まで真面目一本でやってきたけど、仕事が忙しくて、母さんの話を ロクに聞かなかった。母さんは、生きている間幸せだったのだろうか?」と。
父は“乙女ちゃん”になることで、母の気持ちを汲もうとしたのだ。 男であるうちは、女の気持ちは絶対理解できない。(逆も然り) 一瞬だけ理解できたと思っても、それは儚い幻と消えることがしばしばだ。理解しあえないからこそ面白いのかもしれないし、 絶望や諦念に変わることも否めない事実だろう。
さて橋口亮輔は、ゲイをカミング・アウトした映画監督である。 先天的に男性が好きな人なのだろう。素で“乙女ちゃん”だ。 『ハッシュ!』の物語の構造を考えてみると、 男(ゲイ)2人に女1人である。この女が、しょうもないキテレツくん。 だが、考えて欲しい。これが男二人のラブ・ストーリーだったら、 それこそただの乙女チックな話である。なにしろ、この男二人は、本当に 人が良い。毒がないのである。ゲイに悪人なしのような世界観を、見る者に おこさせる。(唯一の嫌な奴はゲイバーで朝子に絡む男のみ?)
しかし、その二人の世界に異化作用したのは、言うまでもなく朝子の 存在だ。この女は分裂している。強いのか弱いのか。思いやりがあるのか 身勝手なのか。頭いいのかバカなのか。第一子供が欲しいなら、年下男という相手がいるんだから、そいつの子供を産めばいい。わざわざ、 幸せに暮らしている人に、ちょっかい出さなくても良いのに…。
しかし、この奇天烈・朝子には意外にファンが多い。たぶん、 このキャラクターが、今までにいないタイプだったというのが、 ファンゲットの要因に思う。映画監督や脚本家は、みな男性が多い。 これらの男性は、女性のキャラクターを作るにあたって、理想の母や恋人を、キャラクターに投影する場合が多いのに、橋口亮輔には、この〈理想の女〉という概念がスッポリ抜け落ちているのである。橋口亮輔にとって、 女とは、リアルにそこにいる自分と似た人間と考えているのではないか?
その証拠に、出てくる女が妙にリアルである。朝子は、今どきな アダルトチルドレンで自己チュー。(孤独であることを親のせいにする 年齢ではもうないだろう?)エミは、計算づくでカワイコぶっている。 容子は正論吐きながらも、実は娘と自分が大事なエゴイスト。 克美は、噂が大好きそうな、一言多いおばさん。みんな、いるいる〜って 人ばかりなのだ。私はこれを悪いなんて全然思っていない。 むしろ、女という人間をここまで出してくれた橋口監督に敬服する。 今、リアルな女を描けるのは、橋口亮輔と山本文緒なのではないか? とさえ思えてくる。
それはさておき、嫌な奴が出てこない男の子ワールド(理想)と、 嫌な奴ばかりの女の子ワールド(誇張された現実)が、上手い具合にブレ ンドされたのが、『ハッシュ!』なのだ。このブレンドが下手だったら、 大失敗した物語だと思うのだが、流石は橋口亮輔。匙加減は御手の物だった のである。
たぶん、橋口亮輔は、女の子ワールドを意地悪に冷笑してるんだけど、 愛してるんだと思う。その優しい眼差しがね、画面いっぱいにね、 広がってるわけです。一生ついてきます。橋口監督! (あるいは私がおこげなだけかも…)
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