[コメント] 鬼が来た!(2000/中国)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
気になったところを先に書く。あとは絶賛だから。
・笑いの振り幅が大きいように感じた。特に花屋が捕虜になっているくだり。この映画にとって「笑い」は重要なファクターだが、それの為に前後に無理を感じる演出は気になる。といいつつ、大いに笑ったが。
・花屋が村人に打ち解けていく心情変化の過程、もう少し緩やかに描いて欲しかった・・この映画を観ている私が「日本人」だからそう感じたのかもしれないが。
・結局袋詰にした犯人は誰だったのだ?(もし見落としていたら、このコメント消します)
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(日本・中国についてのコメントは控える。今の私にはコメントを十分に出来ない為)
馬の生殖行為(なんかこーいう書き方やだな(^_^;)シーンは秀逸である。
このシーンが、この映画を端的に表現しているといって良いと思う。
生物としての感情を押し殺し、生殖行為も殺戮行為もお上と世情次第の人間達。抑圧は去ったかに見えたが、それは一瞬の錯覚だった。歴史は繰り返される。一体私達は、なに複雑怪奇なことしてるんだろうか?これは、他より少し知恵をもらった生き物への神様のご褒美だろうか?それとも罰だろうか?
最後のマーの顔は笑っている。「<憎しみ>にて人を殺し、裁かれる」という、ある意味「人間的な尊厳」を得ることができたからだろうか?苦しみの世の中から開放された喜びだろうか?
人間はこんな辛い思いをしてまでも、やはり生きていかないといけないのか?
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(追記)
・日本語シーンもかなり脚本が練られていた。人物も立っていたし、戦時中の日本人特有の気質も上手く描かれていた。
・「加害者」「被害者」云々については、スズリ氏の明快なコメントに開眼した。お礼申し上げます。
・「私」=(袋詰の犯人)のグラント・リー・バッファロー氏下りの解釈になるほどと言った感じ。そういう謎かけ的要素があったとしても、やはりここは明確にすべきだろうと一方で思うのではあるが・・。(グラント・リー・バッファロー氏感謝いたします)
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(追記2)
グラント・リー・バッファロー氏の見解を読み、再度「鬼が来た」について考えた。何か私は重要なものを見落としているのではないか?おっしゃるとおり、この映画は部分的にリアルだが全体的に幻想的だ。そして、何度か、麻袋を投げ入れた訪問者が「我(私だ)」と言ったことを強調している場面が有った。
花屋とマーは表裏一体の「自己」として捉えるのは飛躍しすぎか・・?
あの恋人との情事の夜、授かったのは子どもだけではなく、鬼も来た・・しかしなぜ?どうして、彼は自分の中の「鬼」を自覚しなければならなかった?そして、最後に、「マー」を殺さねばならなかった?鬼でいなければ生きていけないのか?この世は。
・・・疑問符ばかりになってしまった。他の方のコメントを楽しみにすることにします。
新しい視点を下さったグラント・リー・バッファロー氏に再度お礼申し上げます。
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