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[コメント] アバウト・ア・ボーイ(2002/英=米=仏)

自分の命をかけられる「家族」も「仕事」もない、何も生み出さない「消費」だけの毎日では、もちろん身体の中味は「空っぽ」でしょうけれど、そんな人生でも別に全然構わないと思います。問題は別の所にあるかと。
uyo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







主人公は、前半、自分の人生に殊更不満を持っているわけではない。その事で他人を傷付けたり、自分自身を痛めつけたりしてもいない。(まあ、ちょっとばかり遊び相手の女性たちに恨みをかっているくらい。これでも問題かな?)少年も、少し重度の脳機能障害の母親がいながらも、その事で自分を憎んだり、他人に当たったり、学校で陰湿な「いじめ」に走る事もない。二人ともとっても立派でいい人達だ。

主人公があのまま、おしゃれでハイセンスで、良い趣味をしている自分のライフスタイルに何の疑問も持たずに、ずっとしあわせに一生を過ごしたなら、それはそれで大いにいいんじゃないかと私は思います。その彼の生き方に対して、否定的な妹夫婦は、それこそ大きなお世話なのじゃないかな。人生なんて千差万別。でもストーリーとして、ちょっとした友人が出来て、それを失ってさみしい思いをして、取り戻してハッピーエンド、と言う展開もOKです。

けれど現実問題として、中身が「空っぽ」の人たちに私的に問題を感じるのは、「空っぽ」の人たちのほとんどが、この映画の主人公のように「幸せ」には過ごしていない所だと思っています。

大抵の「空っぽ」の人たちは、訳も分からず自分を傷付けているか、周囲の他人を傷付けている。「自分が人から傷付けられた」といっては、傷つけかえす。自分の中身に根本的に自信がないから、自己と他者との「違い」を許す事が出来ない。いつもいつまでも決して消える事のないもやもやとした形のない「不満」を抱き続け、それを消し去る方法がどうあっても見付からない。その穴を埋めるために「消費」する。

私にとっては、あの学校のいじめっ子達の方が、よっぽど中身が「空っぽ」だな、と思います。

他人の存在の力を借りて生きると、人生が楽になる事は多い。その力はとても偉大で、大切な事。でも結局の所、本当の真実の本質の「自分自身の中身」は、自分自身だけにしか見つけ出したり、つかんだりすることは出来ないよ。

主人公2人が、世の中に何と扱われようとも「自分の唄」を歌った所は、映画史上最高にダサイクライマックスシーンで、素晴らしかったと思います。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)あさのしんじ[*] ことは[*] Kavalier

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