[コメント] ザ・リング(2002/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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もしトム・クルーズがリメイクに乗り出した作品が『バニラ・スカイ』ではなく『ザ・リング』だったら――、今ごろ松嶋奈々子がトムの奥さんにおさまっていたのかもしれない。んなこたどーでもいいんだが。
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ハリウッドがリメイクする時ってオリジナル版とあまり変えないような気がするけど、この作品もそうで、おかげできちんと比較できるのが嬉しい。
結論から言うと、映像の上で両篇通じて最も恐怖を産み出したのは、貞子(リメイク版ではサマラ)がブラウン管からヌッと這い出てくるシーン。でもってこの点に関しては日本版の方が怖かった(※)。もちろんリメイク版は、観るのが二度目だってこともあるが、むしろ日本版を最初見ていた時、日本映画がまさかそこまでやるとは思わなかった、ってのが大きい。つまり技術の力量に関する認識ギャップが恐怖の源泉になっていた。
(※これは原作小説には当然ないシーンであるはずだから、日本版『リング』の監督中田秀夫も原作者のクレジットに入れて上げて欲しかったという意見に私も賛成。)
だがこれはハリウッドには取ることの出来ないスタンスだったろう。中盤で蝿の現実化という伏線を張ったことは、認識ギャップによる恐怖を観客に期待することより、「なんでここでサマラがブラウン管の外に出てきちゃうの?」という不可解感を観客が抱いてしまうことの回避を優先したことを意味している。CGの多用により、どんな特異な映像でもそれ自体では観客を驚かすことの出来なくなってしまったハリウッドの次の課題は、いかに観客にギョッとした感じを与えるかということになるだろう。
で、じゃあなんでそもそもこの映画をリメイクしたのか?ってことなんだが。
これはどなたか書いていらっしゃった方がいたが、人間のエゴがもたらす宿痾のような恐怖を描きたかったからだろう。マスコミは、よせばいいのに、どんなことにも首を突っ込む。何が起きているか知りたいから、真相を究明したいから、などと言って。いつも「知る権利」ばかりが主張されるけど、知りたくないことを「知らない権利」だってある筈だし、そっちの方が重要な場合だってあるだろう。ただ、ここまで来るとメディア批判というより、人間の覗き趣味というか、見たい聞きたい知りたい「欲望」そのものを批判している感じだ。いやむしろ、批判しているのではなく、そういうもんだとして冷たく描いている感じ。
だからラストは私はあれで充分だと思った。「このビデオを見た人はどうなるのだろう」と子供が言う横で、母親(ナオミ・ワッツ)は誰か見せる相手を頭の中で想定して、何かを感じていたかもしれないが、それに対する苦悩などを見せるまでもなく、映画としては終わったと感じた。
観終った直後は「鈴木光司の原作からここまでの論理を引き出してくるなんて(英語版スタッフは)スゲエ!」と思っていたけど、明らかに私が読み取れなかっただけで、鈴木光司はこういうことを描いていたのだと思う。私にとってこの英語版リメイク『ザ・リング』は、鈴木光司原作のもつ恐怖の生々しさをあらためて認識させてくれる作品となった。
解かりやすさはハリウッドの身上で、親切心の表れでもあるのだろう(おかげで私にも分かったことがたくさんある)。タイトル「リング」にもっともらしい意味を与えていたが、できればさっさと続編『らせん』を作ってやって、英米人観客にも心地よく裏切られる快感を味あわせてやってほしいものだ。
80/100(03/06/08記)
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