[コメント] ロード・トゥ・パーディション(2002/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
サリヴァンの目を通して見る死とは、仕事である。 もちろんそこに憐憫の情はあるが、それはあくまで大恩あるルーニーに対しての義務なのである、妻子をそのルーニーの息子に殺されるまでは。
もちろん、ルーニーにとっても同義である、やはり自分と言う領域を守る為に行った結果に残ったモノなのである。
そして、殺し屋であるマグワイアにとって、それはある種の芸術であり、 殺す事で自分が生きている事に実感をもてると言う娯楽なのである。
さて、この映画で出てくる人々の死はとても美しいが、一方で残酷でもある。
ルーニーとコナーがサリヴァンに殺されるシーン。
音も無く降り注ぐ雨の中、無為に、姿も見せず周りの部下達を殺され、ルーニー自身も「お前でよかった」と言い残して殺される。 そして、近所に住んでいた人々は只々それを見ている。
コナーは騒ぎの大きくなったギャングの領域を事後処理の様にカポネの了解を得て、サリヴァンに殺される。 事後処理とは言え、風呂の中で無残な顔を晒して死んでしまうのだが。
これらのシーンは人の死の残酷さ、又はある意味美しいとも言える死と言う、いくつかの断片的な側面を映し出した様に見えた。
そして、ラスト、サリヴァンが殺されてしまうシーン
絶え間無く響き渡る波の音はサリヴァンの心にココで始めて生まれた、何者にも囚われなくなったと言う安堵の響き。
そして、その安堵を切断する様に、突然の青天の霹靂とも言える、銃砲。
やはりこの死のシーンも無為に残酷に描かれている、鮮烈に飛び散った美しい赤い血とは裏腹に。
さて、最期にサリヴァンが死ぬ間際に言っていた「許してくれ」と言っていたのは何であろうか?
おそらく、それは自分がこんな仕事をして、ましてその人を殺す現場をマイケルに見せてしまい家族を死に追いやってしまった、彼の後悔の念であり、そして最期に父親である自分が死ぬと言うシーンを息子に目撃させ、息子の手に銃を持たせてしまったと言う後悔の念なのである。
しかし、マイケルにとって、こんな風に生きてしまい、こんな風に死んでしまったサリヴァンはソレでも彼の父親なのである。
見終った後、サリヴァンが殺されるシーンで響き渡っていた波の音がいつまでも耳と心に残る。
傑作!
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