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[コメント] ギャング・オブ・ニューヨーク(2002/米=独=伊=英=オランダ)

この映画を観て、ふと思い出したことがある。 (2003/02)
秦野さくら

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画を観て、ふと思い出したことがある。

はるか昔に授業で習った、武田軍と徳川・織田連合軍の戦い、1575年の“長篠の戦”。むろん私は武士道などというものとはサッパリ縁が無い。これから血塗る争いをしようかという男たちが「ヤアヤアワレコソハ…」などと名乗る儀式についても「なんと悠長なことか」と少し微笑ましく感じていた位である。しかし、これらの戦いの儀式が“武士の心意気”であると感じたのは、その滅亡を知った時、つまり“長篠の戦”で無敵の騎馬隊と言われた武田軍が鉄砲の弾の前に散った史実についての記述を読んだ時であった。

人間の歴史とはすなわち争いの歴史だ。太古の昔から人の命の尊さは変わらないが、人は他者の生を奪うことでしか己を生かす術を知らない。しかし、他者を殺めた時、その死を「死」として実感できる武器は、せいぜいナイフまで、手に伝わる「肉を引き裂く触感」までではなかろうか。武器は進化し、ついには人間の肉体を離れはるか彼方に行ってしまった。鉄砲から大砲、爆弾といった武器で人を殺めた時、人はどの程度他者の「死」を己の痛みとして感じることができるのだろうか。9月11日の事件、私にとっては親友が大変な危機に巻き込まれたという身近な事件でもあったのだが、その多くの死をテレビの前で観ていた私にはその答えを明確に出せないでいる。人命の尊さは変わらない。しかし、殺戮兵器が発達し、戦いの規模が大きくなればなる程、逆にその死の重みが軽んじられてきているような気がしてしまうのだ。希薄な死とは、すなわち希薄な生でもある。

“武士の心意気”が有れば争いは尊いものであるとは全く思わないが、しかしそこには、現在起きているような戦争には無い「相手の命を尊ぶ精神」が有り、人間の力の範疇で清々堂々と戦ってやろうという気概を感じる。前置きが随分長くなったが、アメリカの片隅でナイフを振りかざしていたビルにもこれと同様の気概を感じ、また、この映画自体に“長篠の戦”と同様の、ある魂の滅亡を感じた。決闘の前に約束した「鉄砲はやめよう、ナイフまでだ」などというビルとアムステルダムの間で交わされた「神聖な」約束も、国が放つ大砲やら、南北戦争やらにあっという間に消される―そう、そんなことは「ちっぽけ」なことだったのだ。「ヤアヤアワレコソハ」なんてのも「微笑ましい」ことになっちまったのだ―そんな美学は、時代が許してはくれない。たった10年の年月が戦いを「人間」の戦いから「アメリカ」の戦いに変え、あと数年もすればそれは「国」の戦いになる。いまや美学を持った「肉体」の闘いなぞ競技の世界にしか存在しない。逆にいえば、本当の戦いは、人間の肉体を超えた恐ろしい兵器でなされているということ。殺しの相手は、「人」?それとも「(人口・兵力)数字」?

時代の終りを悟り、自分のなかに埋め込んだ時限爆弾に火をつけて散っていったルイス。それでもアメリカバンザイで死んでいったルイス。

その彼の姿に、なんというか言葉にし難い一種の無常観を感じたのだが、一方、歯止めが利かなくなりひたすら坂道を転がり始めた人類の行く末が少し怖くなった。

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ちなみに、キャッチを意識して、ふたりの恋愛を中心に観てしまうと確かに偏りが あるが、あのキャッチはどう考えても販売戦略だろう。逆に、日本では「ディカプリオの恋愛映画」として売らなければならなかった事情も分かる。メジャー映画として売るには確かに難しいテーマである。私もアメリカ史に疎いので、多くを見逃しているものと思い残念である。

(評価:★4)

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