コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ボウリング・フォー・コロンバイン(2002/カナダ=米)

「カナダはアメリカ以上の銃社会なのに、なんでアメリカみたくならないんだ?」……いや、その疑問はちょっと違うな。
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 逆だよ、逆。「なぜアメリカは、カナダのようにならないのだ?」

 この疑問こそがマイケル・ムーアの原点である。本作は“アメリカの銃社会”について疑問を呈しているが、ムーアは「アメリカから銃を無くせ」とは一言も主張していない。彼自身が全米ライフル協会の会員であり、子供の頃から既に周りには銃があり、スーパーに行けば弾が簡単に買えるような環境の中で育ってきた。ムーアが問題としているのは、言うまでも無いが「銃による死者の多さ」だ。カナダもアメリカ同様の銃社会で移民の国でもあるうえに、失業率はアメリカよりも高い。なのになぜアメリカのようにならないのだ? そこから先の疑問に辿り着いたと容易に推測できる。

 こんな社会になるなど、誰も望んではいないはずなのだ。全米NRA協会会長チャールトン・ヘストンもそう思っていると信じたい。彼は純粋に銃を愛していて、「銃を持つ権利」だけを守りたいと思っているのかもしれない。だが現状はどうかというと、会長のへストンですら制御出来ないほどイカれた銃社会になってしまっている……。ムーアの質問に答えることなく去っていくあの後姿には、もうアメリカは健全な銃社会になんかならない、と諦めているような印象すら覚えた。

 そこに疑問を持ってして、銃ではなくカメラ片手に向かっていったムーアの行動は、一見すると蟷螂の斧のようでもある。だが、ピンピンに張り詰めた糸にちょっと刺激を与えただけでも大きく震えるのと同様、この映画には我々の心を震わせる何かが存在する。そして「この現状を変えるのは極めて難しいが、蟷螂の斧しか持てない僕達がまず出来ることは何だろう?」と勇気付けてくれるのだ。

 とはいえ自分達が蟷螂の斧である、と自覚した上で行動するのは結構大変だ。自分は非力で弱い存在だ、と認めるようなものなのだから。だが、自分は唯一無二の存在で崇高なものだと思い込んでいる輩こそむしろ危険で、そういう奴こそが“自分の意見を認めない世の中は狂っている!”等と暴走する可能性を秘めている。それとは逆に、自らの非力さに打ちひしがれ何も出来ない人間になるのも困りモノだ。バランスを取りながら、時にはしたたかに、場合によっては強くなったり控えめにもなれる人間になりたいものだ。

 それでも一番大切なのは、やはり自分同様に他人を信用する、ということなのかな。この当たり前のことが出来なければ、社会など成立するはずが無いのだから。

<おまけ>

 この映画の中で「年間の銃による死者数」がテロップで紹介されるシーンがある。そのイメージ映像として、イギリスは「チャールズ皇太子」、フランスは「愛し合う二人」、オーストラリアは「カンガルー」が映し出されていたのを思い出して頂きたい。そして我が日本のシーンでは「怪獣」が登場していたが、この映像は日本のものではなく『怪獣ゴルゴ』というイギリス映画。おそらく、ゴジラのつもりなのだろう。

 ちなみにその後出ていたモノクロ映像は、ある方の情報により『スーパージャイアンツ 鋼鉄の巨人』だと判明したことを付記しておく。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (4 人)torinoshield[*] ミドリ公園 Pino☆[*] 4分33秒

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。