[コメント] レッド・ドラゴン(2002/米)
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ホプキンス=レクターの不在を補う為の再映画化だろう。その証拠にレクターの出番は原作以上に追加されている。
尤も、マン監督による『刑事グラハム 凍りついた欲望』と比べると、幾つかの箇所ではショットの下手さが気になる。ダラハイド家爆破シーンの無駄な派手さも俗っぽいが、マンと比べると、ショットの工夫が足りない。ラウンズ(フィリップ・シーモア・ホフマン)が車椅子に乗せられたまま火だるまにされ、坂を滑っていくシーンでは、マンのように炎の照りと場の静けさを活かしたショットのような工夫の無い、いきなり火だるまラウンズが滑っていくだけの短いカットどまりで詰まらない。リーバ(エミリー・ワトソン)に虎に触れさせるシーンでも、虎とダラハイド(レイフ・ファインズ)を重ねるような工夫が見られないのは疑問。
レクター(アンソニー・ホプキンス)がダラハイド宛てに書いた個人広告をそのまま掲載するかどうかの葛藤もおざなりにされていて残念。また原作では、ダラハイドからの手紙を鑑識の各部門に次々と検査させるシーンでは、各職員の個性が光っていて好きなシーンなのだが、筆跡鑑定の男だけがフィーチャーされただけで終わっているのも不満。
汚らしい入れ歯を嵌めて「龍」に変身する行為の背景にある祖母のイメージを明確に表現した点や、リーバに「発音は上手よ」と言わせたり、ブレイクの版画を喰うシーンをちゃんと映像化していたりと、ダラハイドの口唇性をきちんと拾っている点は好印象。原作のダラハイドは口髭を生やしているのだが、本作では手術跡を見せる為か髭は無い。コンプレックスの視覚的表現としては妥当だが、コンプレックスがあるのなら隠す為に髭をたくわえる方が自然とも言え、微妙なところではある。威厳を保とうとしながらも内気さが滲み出るダラハイドの、「赤き龍」の人格に自ら脅える弱々しさなど、レイフ・ファインズの繊細な演技には不満は無いが、やはり彼は容姿に恵まれすぎている。「変身」がテーマなのにも関わらず、鍛え上げられている筈の肉体にも迫力が欠けている。
原作にあった、グレアムと家族との微妙な感情の綾が今回も省かれているのが情けない。アメリカの映画関係者はそれほどまでに自分たちの家族神話を信じたがっているんだろうか。マッチョさの裏の脆弱さが透けて見える。
エミリー・ワトソンの、盲人ゆえに何も見ていない瞳の、内側から湧きあがる感情がそのまま表れたような輝きはインパクト大。
ラストでグレアムがヨットに乗っているのは、レクターに、子供が選ぶようなローションを使っているねと指摘された際、「容器に小さな船のイラスト付きか?」と言われていたことの反映(=最後までレクターの掌の上)なんだろうか。
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