[コメント] X−MEN2(2003/米=独)
映画を見終った人むけのレビューです。
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本作のテーマとは全然はずれた事だけど、人類全体の合計として見れば、ミュータントがいる事はプラスだ。できない事ができる人がいるのは喜ばしい。心が簡単に通じ合えたり、瞬間的に移動できたり、何でも動かせたり、果ては時間を止められたり。百人のうちに一人いるだけでも、どれだけ助かる事だろう。
そんな楽しい能力が、なぜか戦いに使われてしまうのは、嫉妬や猜疑心や作られた対立のせいだと判ってはいるけど、かなかなうまくいかないもので・・・なんとなく昔読んだ某少女漫画の(笑)上記のセリフを思い出してしまいました;(全く違う意味のセリフではあったとは思いますが)
第一作は上記の様な構図の説明だけみたいで少し退屈したけど、今回は焦点が絞ってあったと思う。それは一言でいえば「キャラ立て」ではないだろうか。
特に、マグニートの脱獄シーンは、あのレクター博士を想起させる程だったし(というかスタッフは明白に意識してたのでは?)、物言わぬジェイスンもかなりの演技力だったのではないか? 自分も原作は読んでないけど、背後に縛り付けられた醜い装置と液体瓶。それが実の父親によって為された事実。母親の死の理由。意思すら奪われ、例え直前と正反対の事にも無表情で従う哀しさと、その彼の能力が、プロフェサーをも服従させてしまうという皮肉・・・最後、崩壊の中で彼だけは救出しされない(当然かもしれないけど;)。助けを請う自由意思さえなく、うなだれたまま死を待つ彼が、まるで「これでこの地獄から開放されるのだ」と安堵している様で哀しかった。
思えば、マグニートにしたって、「あの」強制収容所に閉じ込められていたユダヤ人という設定だ。なぜああなったかには、とても聞きたくない悲惨な理由があるに違いない。彼だってそういう過去を抑えながら、いい年して颯爽とジェット機止めているのだろうなどと勝手に思った。どうしてこのシリーズは、ここまで哀しい設定が山盛りなのだろう。本来能天気に、例えば『ジャンパー』の様に楽しむべき作品だと思って、鼻歌まじりで見ていたもんで意外でした。
※ どちらでもいい事ですが、本来「教授」って敵側につく事が多い約束の肩書きだと思います。プロフェッサー・ギルとか、モリアーティ教授とか、フェイト教授とか(一方、正義の味方側は「博士」)。本作は「教授」が正義の味方で少しだけ新鮮味がありました。本当にどうでもいい話ですが;
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