[コメント] キル・ビル(2003/米=日)
評論家の佐藤忠男氏は、映画はその国の「自惚れ鏡」である、と言った。「自惚れ鏡」とは、それに映すと、実際の自分よりも綺麗で欠点がないように見える鏡のことで、言うなれば「こうありたい自分」という理想の姿の投影、ということになろうか。これを映画に当てはめると、滅多にいないような美しい女性が登場したり、実際にはまずあり得ないであろうストーリーが展開する、といったことになる。たとえ現実的ではなくても、日本映画においては、それが日本人の(または日本という社会の)理想の姿であると解釈されるわけだ。
しかし、クエンティン・タランティーノは外国人であるがゆえに、「日本映画的」な自惚れ鏡を完全に無視し、彼自身の自惚れ鏡に基づいてこの映画を作り上げた。つまり、この作品は彼なりの理想なのだ。女子高生がまんま『バトル・ロワイアル』でも、ヤクザの姐さんの日本語がおかしくても、飛行機の座席に日本刀ホルダーが装備されていても、タランティーノがそれでいいという限りは、すべて正しいのである。そもそも日本映画とて現実の日本を完璧に描写しているわけではない以上、タランティーノの眼を通して観た日本も、また実際の日本からかけ離れたものになるのは道理ではないか。
だから、この映画を観る時は、自分が日本人であることを忘れなくてはならない。さもないと「ヤッチマイナ!」とか「ウワサガヒトリアルキシテイルミタイダネ」といったシーンで笑ったり脱力したりすることになるし、そしてそんな状況は、タランティーノはそもそも意図していないはずである。
一見、タランティーノが好き勝手しているだけに見えるこの作品も、「異文化理解」という視点(外国人たるタランティーノが日本および日本文化をどう咀嚼・再構築するか)で捉えると、何もかもが必然であったということが分かるのだ。
変に真面目になってしまったので最後にちょっと軌道修正しよう。栗山千明さー、短いスカートであれだけアクションするんだったら、ちょっとくらいパンツ見せてくれたっていいじゃん…
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