[コメント] マトリックス レボリューションズ(2003/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
『マトリックス』が特別な映画だった理由は、あれが現実を告発する映画だったからだ。
「この世はマトリックスだ!」
「この映画を観ているお前もお前もお前もお前も、マトリックスの中にいる」
「気づけ! そしてブッ壊せ!」
『マトリックス』でネオやモーフィアスがやっていたことは、テロ以外の何ものでもない。マトリックス支配に気づいてないやつらは我々の敵だからブッ殺しても構わないとする思想も、思いっきりテロリストの考えかただ。社会秩序という名の支配を維持しようとするエージェントたちも、映画の中だけの存在ではない。彼らは警官であり、FBIであり、司法であり、国家であり、およそ他人を支配しようとする全ての人々である。我々の現実世界にゴロゴロいる連中だ。映画『マトリックス』はテロ行為を礼賛し、支配に喧嘩を売り、時代を撃った。だからこそ類いまれな、危険極まりない過激な映画になった。
『リローデッド』、『レボリューションズ』はまったく違う映画になってしまった。『マトリックス』が徹底して現実に喧嘩を売りまくったのに対して、2本の続編は架空の物語を語る普通のSF映画だ。劇中でマトリックスの中にいる時間は激減し、ザイオンやホバークラフト船内でのお話が増えた。ネオたちは、外からマトリックスを変えることで人類を救おうとしている。しかし一作目をヒットさせたあとのウォシャウスキー兄弟は、非常に重要なことを忘れてしまってはいないか。それは、映画を観ている観客たちはいまだにマトリックスの中にいるという事実だ。
いまだマトリックスの中にいる我々にとって、正直ザイオンの存亡なんかどうだっていいことなんだよな。いや、どうだっていいというのは言いすぎだけど、我々にとってまず重要なのは我々を支配するマトリックスを壊すこと、闘うこと、そこから脱出することであって、ザイオンのことは脱出したあとに考えればいいことなのだ。『マトリックス レボリューションズ』のザイオン防衛戦が、その圧倒的映像にもかかわらずなんだか遠い世界のお話のように見えてしまったのは、何もそこにネオやモーフィアスがいなかったからではない。あれは我々にとって、「実際に」遠い世界のお話なのだ。
繰り返すが、我々は今もマトリックスの中にいる。そして物語上の必然がどうであろうと、我々が求めているのはマトリックスの中からの革命であって、外からの介入ではない。マトリックスは現実そのものなのだ。そしてこの現実を生きる我々は、外からの助けをアテにはできない。
◆追記
サティーちゃんの腕毛(うでげ)がものすごく気になりました。いや、どうでもいいことなんですけど。
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