[コメント] 座頭市(2003/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
特に劇場で観る場合、私はなるだけ事前情報をカットして出かけるようにしてる。変な前知識がない方が映画に没入できるし、その方が後々こういったレビューを書く際自分の感性を大切に出来るから。
だけど、本作の場合は事前に二つ気にしていた事があった。
一つ目は不快語のあるなし。特に今はテレビだと「目の不自由な人」と言う表現でないと座頭市を語ることが出来ない。しかしかつてのテレビシリーズでははっきり言ってたから、これはどうなんだろう?と思ってた。
二つ目はたけしが「全く新しいチャンバラを作る」と言っていたこと。時代劇は今まで散々作られてきたんだから、もう作り尽くされた観があり、その上で新しいものが出せるか?と言う疑問。
一つ目に関しては、本当に全くそのまんまの言葉が出てきた。たけしはそう言った不快語を抑える現代の風潮をとても嫌っていたし、敢えてやるんじゃないかと思ってたが、本当にやってしまってた。
そして肝心なのはもう一つの方だが、こいつは参った!って感じ。
日本の時代劇はそもそも西部劇からの影響がとても大きい(相互影響と言うべきか?)。拳銃を刀に変えてしまうと、ほぼ同じ設定で劇が出来てしまう(黒澤明の『用心棒』(1961)は西部劇の手法を使ってると監督自身が公言してるし、それを殆どそのまま西部の街に移し替えた『荒野の用心棒』(1964)や『荒野の七人』(1960)が大ヒットしたのもむべなるかな)。
しかし、拳銃と刀とでは魅せ方は違っている。刀は間合いが非常に近いし、斬った感触というのがある。腕を斬り落とすなんて表現も出来るし、血糊が斬った本人に飛んでくる事だって表現としては重要。
その表現は今までの時代劇で充分表現してきたんだと私なりに思っていたのだが、本作を観ていて、そんなことはない。いや、むしろ今までは不十分すぎたと思えてしまった。本作品では上手くCGを用いて血の表現を出してたし、斬られた部分をアップにすることで、はっきり「斬られた」事を表現していた(オープニングで間違って仲間を斬ってしまう所とか、斬られた指がふっとぶ表現とか、非常に映画的なリアリティを感じられる)。今までの時代劇ではやられ役のオーバーアクションでそれを表現しようとしていたのだが、ちゃんとそれが映像に出来るんだって事だけでなんか「おおっ!」ってな気分。確かに今までにない表現が出来ていたよ。
あと、たけし映画に特有の間もきちんと表現されていたのも嬉しいところ。たけしの映画ではとにかく“静”が“動”に変わる一瞬の表現が上手いんだけど(と、言うより彼以外にこんな表現が出来る監督は今のところ私は知らない)、座頭市ってのは本当にそれに適合した役だな。
黒澤映画ばりに望遠を多用したカメラ・ワークも特筆すべき所だろう。映像表現については満点。
だが、褒めすぎばかりって事じゃない。本作は致命的な部分も持ってる。
ストーリーと設定が無茶苦茶に悪い!あんまりにもいい加減な設定。先が読めてしまうストーリー(伏線が見え見えな上にネタ晴らしの仕方が下手すぎ)。3組の殺し屋が来てるってのに、その過去の描写はなおざりすぎ。あれだけ時間あったらそのくらいちゃんと表現して欲しい。人物描写もたけし本人以外全然ダメ。ラストのラップも乗り切れず。
ところで勝新太郎の『座頭市』は映画で26本、更にはテレビ版も含めると実に長いシリーズとなっているので、本作もその期待がかかるが、多分それを見越して監督はラストの座頭市が実は…ってオチを付けたんだろう。「俺はもうこれは一本きりだぞ」という自己主張のように思える。しかし、金髪碧眼の座頭市か。ビートたけしには絶対に合わないぞ
褒める部分はとにかく多い作品なんだが、それにも増して悪い部分がどうにも気になって…でもなあ、監督の表現したかった所は余すことなく表現できてたし、衝撃も与えてくれたし…これから時代劇が又流行ってくれることを願って、点数はそれなりに甘めに。
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