[コメント] 座頭市(2003/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
たしかに、かねてから時代劇をやりたと北野武は言っていた。 だが今回は望んだ仕事ではない。 勝新の後援者から依頼があったそうで、それがたけしの下積み時代の恩人だったとかで断りきれず、「好き勝手やっていいのなら」という条件で引き受けたとか。
勝新自身が監督した『座頭市』をあまり良く言ってなかったような記憶もあるが(俺は大好き)、たけしは決して勝新は嫌いではなかったはずだし、座頭市自体も嫌いではないのだろう。
「好き勝手やる」=「勝新の座頭市を壊す」ということなのだが、金髪も朱塗りの仕込み杖もタップダンスもさして違和感がなく、「勝新だったらなあ」なんて思うことも微塵もなく、むしろ勝新のイメージを壊すことなく座頭市を演じたと言ってもいい。
だが、この映画は間違いなく、座頭市を座頭市でなくしてしまった。
これはかなり非難を浴びるだろう。そして、よほど恥知らずか本作を「亡き物」としない限り、もう誰も(たけし自身も含めて)座頭市を映画化できないだろう。それくらい座頭市を二度と「立ち上がれない」状態にしてしまった。
それこそがたけしの意図だったのではなかろうか。
今後、誰かの手によって座頭市が汚されていくのを防いだのだ。我が身をもって引導を渡したのだ。 勝新の後援者は借金返済のためにも座頭市を売りたいだろう。だが、たけしは身を挺して「それは世の中が見えてないよ」と言っているのだ。座頭市は勝新であり、勝新が座頭市なのだ。たけしはそれが分かっている(と信じたい)。勝新の「芸」に対する芸人たけしの表敬だ。
なお本作は、饒舌すぎる点もそうであるが、見せ場(映画であれば殺陣・ヌード劇場であれば裸)の合間に演芸を披露するという点において北野武の映画ではなくビートたけしの映画だと私は思う。
余談
金髪の剣客ってのはこれが初めてじゃなく、確かバテレンとのハーフとかいう設定で若山富三郎がテレビでやってたと思うんだが、誰か知らない?
追記
まず眠狂四郎だろうとご指摘をいただきました。そうですよね。雷蔵は控えめな赤毛だったんで忘れてた。 ちなみに私の言ってた作品は「鬼一法眼」という幻のテレビドラマだったようです。 でも、これは若山富三郎がハーフなのではなく、追っている仇がエスパニア人という設定だったようです。いろんな情報と記憶がゴッチャになった誤りでした。 ちなみに「鬼一法眼」のラストはゴンザレスなるエスパニアのフェンシング剣士相手にチャンバラするという珍品らしい(うおっ!演出三隅研次だって)。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (6 人) | [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。