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[コメント] ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003/日)

セリザワ……?
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







《注:『VSビオランテ』、『VSキングギドラ』、『大怪獣総攻撃』に関する重大なネタバレも含んでいます。》

 2度目の観賞の際、秀逸なクライマックスの設定の中でも、特に中條義人(金子昇)が立てなくなった機龍に乗り込み修理するべく防護服に身を包んだシークエンスに目を引かれた―― 独り大袈裟なスーツに身を包んだ男の異物感と孤独感。その男が、見守るしかできなくなった者たちを後方に取り残し近付いていくのは……この光景は!

 『ゴジラ(1954)』はゴジラの物語であると同時に芹沢大助の物語だった。裏を返せば、その後の『ゴジラ』に欠けていたものは、つまるところ芹沢だった。それが、その後の物語に対する失望そのものだったと言ってもいい。ただし、芹沢を失ったのはゴジラ映画だけではない。その後の日本映画自体の中にもう芹沢を演じられるような役者も、芹沢を演出できるような演出家もいなくなってしまった。ひいては日本人の中にもう芹沢のような男がいないということなんだと思う。

 当のゴジラ映画がこの問題と正面きってやり合ったことはほぼ無かった。作家は、とりわけ大森一樹金子修介は自覚していただろうが、やはり真正面からは向き合わず、その代わりに「ゴジラに死を賭す者」を描いた。それが、『VSビオランテ』の権藤吾郎(峰岸徹)の「逃げられなくなり、一矢報いて死んでいくダンディズム」や、『VSキングギドラ』の新堂靖明(土屋嘉男)の「戦後と復興をめぐるアイロニカルな死」や、『大怪獣総攻撃』の立花泰三(宇崎竜童)の「特攻」に帰結したのだろう。

 特に『大怪獣総攻撃』、覚悟を決めた立花の台詞は印象深かった。「なんで、お父さんがいかきゃならないのよ!」と喚く娘・由里(新山千春)に対し、泰三は静かに一喝、「他の誰かだったら、良かったのか?」――ゴジラに英霊を込めて発射してしまう、ともすればラディカルに見える金子監督だが、その実は非常に素朴に日本人の現状を憂えているだけなのだろうなと感じ、自分も素直に胸が熱くなった。

 さて今回、再び「ゴジラに死を賭す者」が描かれている。防護服に身を包んだ中條義人(金子昇)はあたかも芹沢のように、機龍、否、初代ゴジラの骸に近付いていき、その中に飲み込まれ、もう一匹のゴジラのせいで自力での脱出が不可能な状況に追い込まれる。そして、芹沢がそうだったように一つの選択肢を突き付けられる――自分が生き延びるか? それともゴジラのために死を選ぶか?

 劇中、義人が芹沢に見えたことは、或いは金子昇平田昭彦に見えたことは最後の最後までただの一度もなかった。あの時代の狂気の天才とはほど遠い、現代のどこにでもいるしがない凡人、俺達と同じようにパッとしない若造、それが義人である。そんな義人が義人のまま芹沢と同じ行程を辿り、同じ選択肢を突き付けられ、そして同じ答えを選ぶ。義人なりに葛藤し、理解し、成長しながら……このプロットに絶対的な説得力を持たせた脚本と演出の熱の籠もった丁寧さ!

 CGやワイヤーアクションの陰で照れ隠しに恥ずかし紛れにしかバトルを描けなくなった日本映画の中で、一切逃げずにゴジラを信じ、ゴジラとやり合い、戦いきった手塚昌明監督と脚本家の横谷昌宏氏に感謝!

(評価:★5)

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