[コメント] スパイ・ゾルゲ(2003/日)
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突如として挿入される大音声のBGMが興を削ぐ。軍艦マーチや米国国歌など、その使い方が余りにも使い古された手法で、今時、チャチなテレビドラマにも出てこない。視点が、ゾルゲ、尾崎、ゾルゲの恋人?(葉月)とコロコロ変わり全く定まらない。尾崎の回想を縦糸にするのかと思いきや、ゾルゲの回想になったり、葉月の回想で締めてみたり、構成も支離滅裂。ドイツ人が英語を喋る違和感は言うに及ばず。それぞれの登場人物を公平に描こうとしたのか、ゾルゲ、尾崎、近衛、葉月、ミヤギなど、全ての主要人物の描写が、三時間もの長丁場であるにも関わらず表面をなぞっただけだ。ゾルゲや尾崎が、なぜコミュニストになり、スパイ活動を強いられたのかなど人間性が描かれていない。不要な恋愛シーンは何も語りかけてこない。ゾルゲ事件や第二次大戦開戦までの歴史を知らない観客に気を配ったのか、時代背景を変に説明するセリフも多すぎて、教科書を読んでいるようだ。またセットや小道具へのこだわりには恐れ入るが、「こんなに見事に再現しました」とばかりに、巨大なセットやCGの一部分に人物を配置してしまい、テレビで舞台中継を見ているような隔絶感を抱いてしまう。
ゾルゲ事件の最大の謎は、「なぜドイツ将校たちはゾルゲを信用してしまったのか」という一点に尽きる。この映画を見る限り、ゾルゲは超一流の「棹師(さおし)」だったらしい。捕縛されたゾルゲに「多くの女性を騙した」と語らせた時、「おいおい」と口に出してしまった。そして、イマジンで締め括られた瞬間、篠田監督は既に過去の遺物だと確信した。ゾルゲ事件は、太平洋戦争や共産主義に押しつぶされる事がない新しい世代の監督によって、再映画化されるべきである。これではゾルゲや尾崎が浮かばれない。
CGやセットなどは邦画の中では特筆に値するので、大オマケで2点。
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