[コメント] 修羅雪姫(1973/日)
藤田敏八のフラストレーションが爆発する。今まで自らが描いてきた70年代の若者達を否定するかのように・・・
70年代前半の藤田敏八は若者が道を模索しもがく姿を切り取っていた。 だが、彼女は模索などしない。
生まれる前から背負わされた宿命。修羅として生きる為に産み落とされた女だ。彼女にあるのは復讐のみ。彼女の強固な意志の前には慈悲も情けも存在しない。
藤田敏八がこの時期描いていた青春像とは、まったく異なる青春像を描く。日活時代の『野良猫ロック』『新宿アウトロー』の流れからの暴力とアクションか。
そんな中での本作はエロ・グロ、東映の『仁義なき戦い』、終息していく学生運動、といった影響を受けている。ストレートに無気力を描くのではなく、その正反対の位置にいる者を描いてみる皮肉。それが、修羅の雪。
私にはこの監督の方向性が分からない。彼の履歴を見れば見るほどその思いは膨らむ。さらにこの作品の直後に秋吉久美子という原石と出会い、藤田特有の反体制・無気力というスパイスが増していくことになる。
うーん、やはり理解できない。この時代『八月の濡れた砂』や『赤ちょうちん』を受け入れ支持をした当時の若者たちに対し、この『修羅雪姫』はどう評価されたのだろうか。若者に迎合するのを一時的にでも止めたということなのだろうか?
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。