[コメント] 才女気質(1959/日)
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轟夕起子の奔走は無駄なものばかりだった。長門裕之と吉行和子の結婚は先に本人同士の合意があったし、原ひさ子の引越しは葉山良二と中原早苗の密通を準備してしまったし、殿山泰司の選挙出馬は失敗した。
それが、収束で始めて成功がやってくる。二世代同居家庭だ。今ではハウスメーカーも推奨の、このいかにも戦後的な棲み分け、当時から話題になっていたのだろうか。封建価値を矜持としていた轟がこの真逆の提案をするに至る心境の変化が本作の主題だろう。
戦死した息子の七回忌が冒頭で予告され、当日にクライマックスを迎える。この長兄が優秀だったのだと仏壇に向かって嘆く轟の独白は、周囲への嫌味でもあるが本音でもあるはずだ。彼女が封建価値を捨てるためには、七回忌が必要だったのだ。新藤兼人が云いたかったのはこれに違いない。
何と云っても轟は、戦争協力映画に多く登場した人だ。映画は彼女が背負ったものを総動員しているだろう。長兄は『ハナ子さん』で出征した夫灰田勝彦だと見立てれば、感慨が湧くのを抑えられない。戦前の大スタア吉川満子の婆さんがこれを相対化する配置がまた深みがある。
このクライマックス、とても苦いものになった。キャプラ、ワイルダー系喜劇の気持ちの良さを求めていると泥沼の印象があるが、その代わり映画は悪役を指名して終わるのを避けた。これが作品の主張だ。当時、オーシマ、マスムラの悪役指弾の時代が始まろうとしており、それは戦前回帰のなか必然だったのだが、そんななか新藤は地道に、彼の世代に必要な仕事をしている。当時時代遅れにみえたであろうが、いま観ればこの新旧世代の融和こそが必要なのだと感じられる。ふたつのカップルが轟に礼儀を尽くす件も印象に残るものだ。
この前段、吉行の実家へ入りそびれ、轟々と鳴る川を見下ろす轟を遠景で捉えるショットが死を匂わせてとても印象的。どのフレームにもひと工夫入れる中平演出はとても丁寧。テレビ局で蠅を追い回す長門の件など、こうするものかと感心させられる。
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