コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ライフ・オブ・デビッド・ゲイル(2003/米=独)

死刑囚を題材に映画を撮るのは容易い事ではない。3.0点。
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







死刑囚を題材に映画を撮るのは容易い事ではない。映画そのものを成立させるのも大変だが、それ以前に制作業界・観客の予断があり、政治や宗教にも絡む話のために手を付ける事自体が躊躇われる題材である。しかし目を背けていてはいけない問題であり、野心的・精力的な作家にとっては逆に挑戦しがいのある題材とさえ見えるのかも知れない。

造ったという事実だけでもまずはアラン=パーカーを評価したいと思う。そしてどう創るかだが、観客を惹き込むためには、その「殺人」「処刑」という凄惨な要素を取り込まなければならないし、エンターテイメントにするなら、サスペンスやミステリー、どんでん返しでラストまで繋いで行かなければならない。結論的には、その匙加減が微妙に失敗してしまったようだ。

死刑反対の有力な論拠として冤罪の問題がある。この映画は「意図的に冤罪をつくるために自殺する」という、一般には考えられない方法を採っている事が観客の目を欺くわけである。死刑反対論者は生命の大切さを説いている訳だから、その為の自殺というトリックに思いが至らず騙されてしまうのだが、その意外性が強すぎると生命尊重から拒絶感に繋がる。映画は拒絶感を弱める為に被害者(=加害者)を余命幾許もない人間に設定したが(白血病は患者によっては完治もあり得る病気だが、彼女はそうではなかったのだろう)、それでは足りなかったようだ。

ぼくは自殺を否定出来ない。自殺する時、ひとは人生に絶望して人生を継続する気力を失っているものだから、「自分の命を何かの為に使う為に自殺する」というのは、実際にはただ自殺する事より遥かに大変な作業だ。或る種のテロリズムとさえいえるかも知れないが、重要なのは他人を犠牲にはしていない事だ。

映画ではわざわざビッツィー(ウィンスレット)にビニール袋を被せ、ザック(ガブリエル=マン)が見るに見かねて止めている。そして最後に、コンスタンス(リニー)がやり遂げるのをゲイル(スペイシー)に見届けさせているのである。両者を対比させ彼らの意志の強さを示している。その中に優しさを感じさせる人物として、ケビン=スペイシーは欠かせなかっただろう。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)わっこ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。