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[コメント] 素直な悪女(1956/仏)

自分の肉体と男たちの視線を持て余す女の不機嫌を、ブリジット・バルドーなる個性が体現して見せた。てな感じか。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 BBの1本目。あの(『眼下の敵』に出てた)名優・クルト・ユルゲンスが、こんな助平そうな目つきを披露していたとはびっくりだ。

 自分でも思いがけずふくよかに発達してしまった肉体と、それへ集中する世の男たちの不躾な視線を持て余し、不機嫌と上機嫌を行ったり来たりする女性の<不安定>を、ブリジット・バルドーという女優の個性が見事に体現していた。てな感じか。ちょっと可愛い顔立ちだか、近寄りがたいほど美人という訳じゃないし、肢体にしたって彼女よりグラマラスなのはいくらでもいるだろう。だがフィルムに収められ、スクリーンに投影された影として見る彼女には、なにか抗い得ない魅力が宿って見える。この今、私が見てそう思う。間違いなく彼女は映画の生んだ女神だろう。

 作品としては、感情中心的に熱くなったり冷めたりを繰り返して進むストーリーが、客観性と冷静さを好む私には耐えられなかった。だがいろいろ考えさせられた。例えば、最近の映画である『セックス・アンド・ザ・シティ』などで描かれる女性たちと比べると、本作の主人公は、自分の<市場価値>を自ら上げるべく努力したり、女を磨いたり、なんてことは一切していないのがわかる。たまさか気づいたら、自分は男からもてはやされる存在になっていた、というわけだ。年頃の女性、という存在だ。もちろん自分でも、自分の魅力には<市場価値>があることを知っている。それが若いうちだけであることにも気づいている。しかし彼女は(『SATC』の女性たちもそうだが)その価値を市場で交換しようとは考えない。伝統的な男女関係、家庭に収まる主婦というような地位を手に入れるために発揮しうると思っている。そして自分にはその値打ちがあると思っている。だが遊び人の恋人へのあてつけで、その純朴な弟と結婚してしまった彼女には、いくら幸せでも不満が残る。自分の市場価値を確認したくなる。とまァ、そんな風に描かれているように思った。

 女なんてものは殴りつけて言うことを聞かせりゃいいのだ、てな原始時代の価値観が、この時代のヨーロッパで、映画として普通に描かれる程度に、通用していたことが驚きだ。フランス映画がお洒落で洗練されてるなんて言ったのはどこのどいつだ、という気がした。でもこのブリジット・バルドーには、原始人的な魅力があったことも確かだけど。

 もう1つ思ったのは、周囲は皆かしこまって衣服を着ているのに、主演女優だけが裸でむき出しにされ、晒し者にされているような痛々しさを感じたこと。BB自身は、<自分の魅力を引き出す>てな甘言の裏にあるこれらの意思を、どこまで自覚して演じていたのか。のちに自然と映画に出なくなってしまった経歴を思うと、やはり傷ついていたのではないか。たった1本見ただけでここまでうかがうのは、うがちすぎでありましょうけれど。

65/100(10/09/23記)

(評価:★2)

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